台風ヨランダ(30号)
台風上陸から1カ月。タクロバン市で追悼ミサ開く。ほど遠い生活再建。復興の兆しも
台風ヨランダ(30号)襲来で4千人以上の死者を出したビサヤ地方レイテ州タクロバン市で8日、犠牲者をしのぶ追悼ミサが開かれ、被災者ら約700人が参列した。参列者は、屋根の一部が壊れたままの教会で、犠牲者の冥福と、復興を祈った。台風上陸から1カ月が経過し、壊滅的な被害を受けた同市内では、露店が並び始め、交通手段が回復するなど、復興の兆しも見えている。しかし、多くの被災者は、避難所や掘っ立て小屋での生活を強いられ、がれき撤去作業によるわずかな収入で生計を立てており、被災前の暮らしを取り戻すには、ほど遠い状態だ。
追悼ミサが開かれたのはタクロバン市役所に近い、サントニーニョ教会。ジョナ・スマヨッドさん(26)は、教会中に響き渡る聖歌隊の歌声を、涙を流しながら聞いていた。「3歳と生後1週間のいとこが亡くなった。小さい頃から大好きだった、この教会もこんな姿になってしまいました」と声を振り絞った。目からこぼれでる涙を拭きながら「救援物資のおかげで日に3食は食べられています。生活はだんだん良くなっています」と言って、はにかみも見せた。
台風襲来の直後、街中に死臭が漂い、被災者の遺体や動物の死骸が路上に横たわっていたタクロバン市。がれき撤去と遺体捜索が進んだことで、鼻につく異臭はほぼ消えたが、住民によると、今でもがれきの山から遺体が見つかることがあるという。
「今日もがれきの下から遺体を見つけたよ」。タクロバン空港に近いバランガイ(最小行政区)88に住むステファンマーク・ファクトラナンさん(24)は8日午前、がれきの下から女性の遺体を見つけた。ファクトラナンさんの案内で、その場所へ行くと、銀色の時計をつけたミイラ化した女性の左手が見えた。
食糧と水を求めて被災者たちが徘徊(はいかい)していた1カ月前に比べると、路上のあちこちに、鶏、豚肉、魚を販売する露店が並び、町全体に活気が戻ってきていた。被災者に「水を下さい」と懇願されることもなかった。
トタン板と木材で造られた掘っ立て小屋の数は急増。被災直後は屋根と柱だけで、壁がなかったガーリー・デラクルスさん(22)の住む小屋には、トタン板を重ね合わせた壁が四方にでき、入り口には木造のドアが付いていた。
複数のガソリンスタンドが営業を再開し、庶民の足、ジプニーとトライシクルが復活。行き交う人に話し掛ける運転手の声があたりに飛び交っていた。フロントガラスが割れたまま走るタクシーも見かけた。
一時は住民による略奪が起きた大型商業施設に足を運んでみると、シャッターの前で銃を持った警備員5人が見張りをしていた。11月15日から24時間体制で警備を始めたといい、現在は立ち入り禁止になっている。施設内を撮影しないことを条件に、中に入れてもらうと、壊されたシャッターや散乱したガラスなど略奪の跡が生々しく残っていた。食料品とは関係のない、電化製品を扱った商店もドアを壊され、全ての商品が無くなっていた。
依然として、多くの住民は職を失ったままだ。がれき撤去作業から得られるわずかな収入で生計を立てている家族が大半という。救援物資による配給に頼る被災者も数多くいる。
リシェル・ポスタレさん(26)は台風上陸3日前からずっと、タクロバン・シティ・コンベンションセンターでの避難生活が続いている。がれきの中から拾ったパスタを使って、トマトソースのスパゲッティーを作りながら「家がないと新しい暮らしを始められない。でも再建するカネも仕事もない」と、うなだれた。(鈴木貫太郎)