台風ヨランダ(30号)
太平洋戦争中の激戦地レイテ島に立つ戦没者慰霊碑も強風や高潮で被害を受けた
太平洋戦争末期の激戦地、ビサヤ地方レイテ島。今回の台風ヨランダ(30号)では、遺族や生還者らの手で同島各地に建立された戦没者慰霊碑も被害を受けた。
台風で約1400人の死者・行方不明者を出したレイテ州パロ町は、幹線道が交差する交通の要衝。戦争末期の1944年10月には、旧日本陸軍歩兵第33連隊が、交差路近くの「十字架山」と呼ばれた丘に陣地を構築し、米軍上陸部隊に抵抗した。
同連隊側の戦死者は約2千人とされ、戦後23年を経た78年9月、丘のふもとに「比島戦没者供養塔」が建てられた。
台風被災前、供養塔周辺はココナツやバナナの木々で覆われていたが、最大瞬間風速90メートルを超える烈風で、これらの木々は総倒れ状態。供養塔の敷地内にもココナツの木が倒れ込んだ。また、塔へと続いていた階段は、一部を残して崩れた。
同町の西方約55キロ、カポオカン、レイテ両町の町境に位置する「リモン峠」では、75年7月に建立された旧日本陸軍「第1師団戦没者英霊之碑」が強風の被害を受けた。風雨から碑を守っていた木製の上屋と竹の囲いが吹き飛ばされ、周囲にはその残がいが散乱。碑の周囲にあった複数の卒塔婆もなくなった。
木製の碑自体は被害を受けなかったものの、上屋のない状態で風雨にさらされ続けると、朽ちてしまう恐れがある。
一方、高潮の被害に見舞われたのは、州都タクロバン市の市役所に隣接する慰霊公園。77年12月、日本人有志の手で建立されたマリア観音像を中心に、「マドンナ・オブ・ジャパン・パーク」として市民に親しまれてきた。
台風通過時は、道路を挟んで広がる海辺から、高潮ががれきとともに押し寄せ、公園外周部の鉄柵が破壊された。被災から約3週間、がれきの山が公園内に放置されてきたが、2日になって一部が撤去された。マリア観音像は、園内の比較的高い部分に立っているため、被害を免れた。
太平洋戦争の決戦地となったレイテ島では、44年10月から終戦まで続いた戦闘で、旧日本軍の将兵7万9千人が戦死した。戦後60年の2005年5月から、比国内にある慰霊碑の保存状態などを調査している比戦没者慰霊碑保存協会(宮内章光理事長、首都圏マニラ市マラテ)によると、レイテ島内には少なくとも94の慰霊碑がある。遺族の高齢化などで日本からの訪問者は年々減少し、傷みの目立つ碑が大半を占めている。(酒井善彦)