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11月22日のまにら新聞から

台風ヨランダ(30号)

[ 1010字|2013.11.22|気象 災害 (nature)|ビサヤ地方台風災害 ]

首都圏に避難した被災者受け入れる中継地拠点が空軍基地から国軍本部に移転

ビリヤモール空軍基地から国軍本部に運ばれた被災者ら=21日午後4時すぎ、首都圏ケソン市の国軍本部で写す

 ビサヤ地方レイテ州タクロバン市や東サマール州ギワン町などの被災地から、比米の軍輸送機や無料バスで首都圏に避難してきた被災者らを受け入れ、中継地として機能している拠点が21日、パサイ市のビリヤモール空軍基地からケソン市の国軍本部に移転された。突然の移転に、一部関係者から「空軍基地で統括を執っていた社会福祉開発省と、国軍幹部の夫人組織との縄張り争いが原因」との声も出ており、食事や医療、送迎など円滑な被災者支援が継続されるか不安な一面も出てきた。

 被災地を脱出し、首都圏やルソン地方各地の親類の元に避難しようと人々が軍輸送機で空軍基地に続々と到着し始めたため、食事などを提供する拠点が13日、滑走路近くのスタジアムに設置された。当初は空軍が統括していたが、16日からは社会福祉開発省が職員を派遣し、24時間態勢で多数のボランティアと共に被災者への聞き取りや、食事、医療、通信の提供、親類宅への送迎、調整などを始めた。

 16日から20日午後2時半までに到着した被災者は8千人を超えた。スタジアムには常時被災者ら約1千人が迎えや連絡を待っていた。19日には、パサイ市が空軍基地の近くに簡易の避難所を立ち上げた。

 ところが、21日になって大統領府が拠点を国軍本部に移すと決定。被災者ら約2千人が同日夜までにバスで同本部に運ばれた。企業や民間団体、学生、修道女らボランティアは理由を知らされず、移転を余儀なくされた。

 これに対し、被災者の送迎を担っていた民間団体代表は「空軍の敷地内で社会福祉開発省が支援を統括していたのを、軍幹部の夫人組織が快く思っていなかった。拠点の立ち上げ当初から、縄張り争いが原因で連携が難しいことがあった」と暴露。21日以降の送迎を中止すると述べた。

 これに対し、コロマ大統領府報道班長は、ルソン地方各地への路線バスのターミナルがケソン市にあることから、国軍本部の方がより効率的に支援できると移転の理由を説明した。「傷ついたり、不快な思いをした人たちには申し訳ないが、言い争いをしている時ではない。理解してくれると期待している」と述べた。

 国軍も、同省職員との「縄張り争い」を否定。同本部に到着した厚生省のハナイロ医師は、移転が数日前から政府内で検討されていたと明かした上で、目の前で輸送機の離発着が繰り返される空軍基地よりも、被災者の健康の回復には同本部が適していると話した。

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