ビサヤ地方台風災害
被災地へ5 レイテ州タクロバン市には支援団体が集中。物資供給に格差も
19日午前4時45分、夜が明けきらないうちに、サマール州カトバロガン市ブライから、バン型乗用車でレイテ州タクロバン市に向かった。早朝にもかかわらず、記者のほかに10人が同乗していた。家族に会いに行く者が多かった。中には、タクロバン市から1度は避難したが、アキノ大統領が来ているからもう1度戻るという者もいた。サマール州バセイ市でさらに5人の男性を拾った。5人はタクロバン市にある私企業の警備員で、1日ごとに他の5人と交代しているという。「タクロバンでは、すべての家が破壊されひどいありさまだ」とせきを切ったように、口々に話した。
空が明るくなってきた頃、車は大きな橋に差しかかった。まわりの風景の中で橋だけが巨大な建造物に見えた。サンフアニコ橋という。日本が援助して建設されたと、同乗者が教えてくれた。橋には破損箇所は見当たらなかった。
橋を渡り切ると、風景が一変した。車が数台、横転し、木くずに埋もれている。大きな工場が、ことごとく破壊されていた。タクロバン市に入ったのだ。市街はまるで廃墟のようにさえ見えた。
午前6時ごろ、車はようやくバスターミナルに止まった。バスがずらりと並び、順番待ちの乗客で混雑していた。政府が無料でマニラに行くバスを仕立て、毎日走らせているという。
市街地を歩くと、教会や学校などに避難した人たちがあふれていた。入りきれないのか、敷地の外まで避難用テントがはみ出ている。水浴び場や炊事場も出来ており、避難した人たちが一緒に炊事をしている。少なくとも避難所では秩序が回復しているように見えた。
教会に避難していたアナベル・ピナノさん(49)は夫と8人の子供、計10人で避難してきた。教会の木製の椅子は固く、なかなか寝つけず、寝不足の日々が続いている。朝は、水浴び場に大勢の人が並ぶ。避難所にいれば、援助物資の配布が毎日あるので「食べるには困らない」という。
タクロバン市内には、海外からの支援団体が数多く入っていた。市役所に行くと、欧米や、韓国、マレーシア、トルコなど、各国から支援団体や報道関係者が集まり、テントを張って活動拠点を作っていた。サマール島内の被災地では外国人を見かけることはほとんどなかった。海外からの支援がタクロバン市に集中していると感じた。海沿いを歩いていたら、米国から来たという男性2人ががれきの山を乗り越えながら、被災者に食料を配っていた。
市内のあちこちで支援物資の配布が行われている。民間団体のトラックの脇には被災者の列ができていた。ところが、同じ市内でもすべてのバランガイ(最小行政区)に物資が行き届いているわけではないようだ。
ロヘリオ・バーダンスさん(63)は台風後、2度しか支援物資を受け取っていないという。「食料が全く足りない」と、しかめっ面を見せた。バーダンスさんの家は、屋根が崩れただけですんだため、避難所には行かず、自宅に留まっている。社会福祉開発省(DSWD)は自宅が全壊して避難所に避難している被災者に優先して支援物資を分配しているという。「お役所のリストに自分の家族は入っていない。すぐ近くの避難所では毎日食べ物がもらえるのに、なぜ自分たちはもらえないのか」とバーダンスさんは記者に詰問するように尋ねる。同じ市街地でも支援の格差が出始めているようだ。それで不満が高まっているのだろう。
午後8時半、電気のない市街は真っ暗だ。それでもわが家に留まる住民たちは外へ出て、輪になって世間話をしている。いくら話しても不満や不安を拭い去ることはできないようだった。(加藤昌平)