メンジョーラ橋
大統領府と国民の架け橋
マニラ市サンミゲルにある大統領府からキアポのレクト通りまでを結ぶ現在のチノ・ロセス通り。有力英字新聞社の元オーナーの名前に由来するものだが、マニラ市民の間では従来のメンジョーラ通りの方がいまだなじみ深い。国家の首長が座すマラカニャン宮殿に通じるこの道は、国民が社会の窮状や改革を訴えるのに都合が良く、これまで幾多のデモ行進や抗議集会が開かれてきた。
メンジョーラ橋はその同名の通りがレクト通りと接する場所にある。幅三メートルほどのドブ川に掛かったごく短いコンクリート橋で、注意していないと気付かずに通り過ぎてしまう。サンべーダ大学やイースト大学などの私立大学が周辺に集まっているため、日中は学生でごった返す。
キアポ教会方面から行進してくるデモ隊は必ずこのメンジョーラ橋手前で警官隊によるバリケードに迎えられる。そこでデモ隊参加者らは行進を止め、マイクを使って抗議集会を開き、演説や歌、寸劇などで主張を訴えるのだ。現在は平穏に行われるこれら抗議集会も緊迫した社会状況では流血の惨事につながることもたびたびあった。
アキノ政権下の一九八七年一月下旬、農地改革を訴えてデモ行進していた農民グループに対し、リム首都圏警察西部本部長(前マニラ市長)率いる警官隊がメンジョーラ橋手前で発砲、十三人が死亡する惨事となった。
メンジョーラ橋近くで揚げバナナを売っていた老女の露天商は、「当時も近くで露天商をしていた。弾丸の飛び交う中、若い学生が血を流しながらレクト通り周辺を逃げまどっていたのを覚えている」と話してくれた。
現在、メンジョーラ橋とメンジョーラ通りはそれぞれチノ・ロセス橋と同名の通りに名前が変わった。故ロセス氏は暗殺されたアキノ元上院議員がかつて記者をしていたマニラタイムズ社のオーナー。八三年に同上院議員が暗殺されたのち、知識人によるマルコス反対運動の先頭に立ちこのメンジョーラ通りでもデモ行進を組織した。アキノ夫人の大統領選出馬を説得するために二百万人署名を即座に集めたことで知られている。
橋のたもとには、十字架を掲げひざまづいた同氏の銅像が建っている。橋や通りの名前が変わっても、そこで市民が行う政府に対する訴えは変わらない。メンジョーラ橋周辺では毎日のようにデモがおこなわれている。ここが政府と国民との「真の架け橋」になるかは、これからの課題だろう。 (澤田公伸)