「日刊まにら新聞」ウェブ

1992年にマニラで創刊した「日刊まにら新聞」のウェブサイトです。フィリピン発のニュースを毎日配信しています。

マニラ
29度-23度
両替レート
1万円=P3,730
$100=P5855

3月23日のまにら新聞から

「比の天井を壊す」 比日の血が牽引する比柔道界

[ 2148字|2023.3.23|文化 スポーツ (culture) ]

比日ハーフで比柔道代表の中野修源選手と経清選手、中野亨道監督に聞く

比クラッシュ代表と汗を流した左から修源選手、中野亨道監督、経清選手=14日、首都圏パシッグ市フィルスポーツ・コンプレックスで沼田康平撮影

 首都圏パシッグ市の比スポーツ委員会管轄下のフィルスポーツ・コンプレックス(PhilSports Complex)で14日、中野兄弟で知られるフィリピン柔道代表の中野修源(しゅうげん)選手(26、次男)、経清(けいせい)選手(26、三男)と、フィリピン柔道代表チームの中野亨道(こうどう)監督(30、長男)らがクラッシュ比代表選手らと練習に励んだ。クラッシュとは「寝技の無い柔道」とも呼ばれるスポーツ競技で、中央アジアのウズベキスタン共和国発祥で国技にもなっている民族格闘技。東南アジア競技大会で比代表が金メダルを獲得したこともある競技で、柔道との類似性や柔道上がりの代表選手も多いことから共同で練習を行っていた。

 中野兄弟の3人は2011年に発生した東日本大震災の影響を受けた岩手県九戸郡野田村出身で、比人の母をもつ比日ハーフ。比国籍も持つ3人は比日を行き来しながら、幼少期から柔道に勤しみ、亨道監督は2016年のリオデジャネイロ五輪に比柔道代表として出場した経験をもつ。亨道監督は現在、比柔道代表監督として、修源選手と経清選手は比代表メンバーとして活動する一方、比柔道界発展に向けたボランティア活動をはじめとした取り組みも行っている。

 クラッシュの代表選手らと組み手の練習をしていた経清選手は、比代表を選んだ理由について「比において柔道は空手やテコンドーと一緒にされがちで、マイナーなスポーツ。私には比の血が流れているし、母親の母国である比の柔道発展のため、ハーフである自分が活躍して希望を与えたい。また比で柔道だけでなく、他のスポーツも含めて純粋に楽しめるような環境づくりにも取り組めれば」と話した。

 経清選手は過去に日本で国籍差別を受けた経験も明かした。大学入学前から比代表としての活動を決めていたという経清選手はスカウトを受けて入学した大学の監督から比代表として活動することに対し、「日本から逃げたんだろ」などと罵倒された。また、国際大会へ参加する際に大学の柔道部が申請する公欠(公認欠席)の取得を阻まれるようなことも経験し、裁判沙汰にまで発展したという。「その経験を元に、次世代の子どもたちに同じことが繰り返されないようにしたいと考えた。自分たちが比代表として活躍することで、ハーフの子をはじめとする同じ境遇の子どもたちにマイナス要素だけでなくプラス要素もあること、そして色々な可能性があることを伝えたい」と意気込んだ。

 

 ▽「比の天井を壊す」

 コロナ規制が厳しかった時期は地元岩手県の高校で学生と練習をしていたという修源選手は、いろいろな人との練習経験の意義を強調した。「柔道の試合相手は前日に決まることも多く、多種多様な柔道のスタイルに無意識に対応できるよう経験しておくことが必要。国によってスタイルの特徴がある。日本では襟と腕で組むことが多いが、ヨーロッパ選手は背中を掴んで引き寄せてくるし、フィリピンの選手は技をかけるタイミングが独特。日本人が負けるときは予想できない、慣れていないスタイルに足をすくわれるケースがある。いろんな国で実戦練習を積み、相手が嫌がるプレーを無意識にできるようにしたい」と話した。

 東南アジア競技大会で2連覇を遂げた修源選手によると、今年5月にカンボジアで開催される東南アジア競技大会では、ウクライナ難民の選手が参加する可能性も視野に、ヨーロッパ系の柔道スタイルへの対応を進める一方、ヨーロッパ選手との対戦経験を比代表選手と共有し、チームの底上げにも貢献したいと話した。修源選手は「比の天井は今のところ、東南アジア競技大会となっているが、その天井を壊すのは我々の役目。比人が英語や他のスキルだけでなく、スポーツでも海外で活躍できるよう、われわれがまず五輪に出場し道を拓きたい」と意気込んだ。現在の目標はパリ五輪での比柔道代表初となるメダル獲得だという。

▽継続する大切さを強調

 2020年から比柔道代表監督に就任したという亨道監督は「比代表のなかでも『日本人だから強い』という概念を消し、比人だって強くなれるということを知ってほしい」と話した。過去には日本人選手への妬みや「日本人ハーフの出場がなければ勝てない」という風潮もあったという。

 また教えることは難しくないと話す亨道監督は「国民性から無理やりやらせてもやらないので、興味を沸かせることを意識し、(選手が)何を求めているかを明確化させて付き合うようにしている。またいろんなものを見てきた経験から、彼らに合う技を提案している」と教育にも精力的。

 亨道監督は自身の経験を振り返り「小学3年で始めた柔道も大学では負け続けで、辞めようと考えたこともあったが、フィリピンで続けてみればという声に助けられ、五輪も経験し、今日まで楽しくやってこれた。どんな形でもいいから続けてほしい」と継続する大切さを強調した。

 今後の目標については「比の子どもたちがやりたいと思うように修源選手や経清選手には広告となってもらい、世界大会でカッコいい姿を見せてもらいたい。そして国際的な舞台に比の選手が当たり前に出場できるようなチームづくりを目指したい」と語った。(沼田康平)

文化 スポーツ (culture)