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7月2日のまにら新聞から

ケソン市レティロ通り

[ 1232字|2006.7.2|文化 スポーツ (culture)|名所探訪 ]

レチョン文化の発祥地

 ケソン市ラロマにあるNSアモラント通り(旧レティロ通り)。風に乗って鼻腔を刺激する焼き上げた豚肉の香りが食欲をそそる。ブルーメントリット通りからカラビテ通りまでの約八十メートルの間を中心にフィリピン肉料理の代表格であるレチョン(豚の丸焼き)の専門店が十四軒集中している。首都圏住民はこの一角を「比のレチョン文化の発祥地」と呼んでいる。

 各店は競うように、広告塔としてスチール製の棒や竹に串刺しにした焦げ茶色のレチョンを外壁にずらりと立て掛けている。車の運転手は速度を落とし、品定めに熱中。気に入ったレチョンを見つけると店前に駐車し、店先で店員と値切り交渉を行う。

 ノロノロ運転が引き起こす渋滞にジプニー運転手が苛立ちクラクションを頻繁に鳴らす。騒々しさの中を少年が渋滞車両の間を縫うように、焼きたての「商品」を荷台に載せて歩く。

 裏通りに入ってみると、各店舗が所有する食肉処理場で豚が解体され、ロースト場ではヨコ一列に並んだ豚がゆっくりと商品へと形を変えている。今やここは「レチョン産業」のメッカなのだ。

 この地に初めてレチョン店が出現して半世紀を超えた。ロンブロン州出身の故トマス・レイエス氏が郷里の祝祭日に用意していたレチョンを「マニラで商売にできないか」と思いつき、一九五四年に試験営業を開始した。現在では伝説的な存在となったレチョン店「マン・トマス」の誕生である。

 現在、同店を引き継いだ息子ハイメさん(64)は「都市部でレチョン販売を商売にするのは珍しかった。たちまち近所の名物店舗となった」と振り返る。「地方では伝統的な料理。父の功績は、都市部で起業した決断だね」と語る。

 レイエス一家の成功は近所の商売人らに波及した。いつの間にか第二、第三の「レチョネロ(レチョンを創る人)」が出現。一品の食品に特化した特異な商店街が登場した。以降、特別な料理であったレチョンは庶民の日常的な一品となっていった。

 十四店舗の経営者はレチョン文化の発祥地、レティロ通りの伝統を継承するため、「レチョネロ協会」(バリワガン会長)を九〇年代に設立。年一回、五月第三週に祭りを開くほか、過当競争回避のため、原則として販売価格を一定の幅に規制している。

 同会長は「良質レチョン」の最低条件として・革がカリカリして少し焦げ目が付いている・腹の中に仕込む薬味が肉に染みこんでいる・・などを挙げた。加えて、「重要なのはソース」と明かした。各店は独自のソースの味を競い合っている。

 協会規定の値段は、子豚(約五|七キロ)は千五百|二千ペソ。中豚(約十一|十三キロ)が二千五百ペソ。大豚(約十五|十八キロ)は四千ペソから。客の要望で、キロ売りも可能だ。

 「今やレチョンはどこでも買える。でも値段はここが一番安い」と「老舗マン・トマス」の二代目ハイメさん。「もちろん、味はどこにも負けない」。レチョネロの目つきがにわかに険しくなった。(藤岡順吉)

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