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9月11日のまにら新聞から

ホルヘ・バルガス美術館

[ 1238字|2005.9.11|文化 スポーツ (culture)|名所探訪 ]

対日協力の真意に光を

 「ホルヘ・バルガス」は、比日関係史を語る上で欠かすことのできない比人の一人だ。

 コモンウェルス時代(一九三五・四二年)、官房長官としてケソン大統領に仕え、日本軍政下(四二年一月・四三年十月)は、日本軍の設置した「比島行政府」の長官に就任。四三年十月十四日のラウレルかいらい政権(第二比共和国)の発足直後、初代駐日比大使として訪日した。そして、日本敗戦と同時に「対日協力者」として連合軍に身柄を拘束され、巣鴨刑務所に収監された。

 四八年一月に恩赦を受けるまで「裏切り者」として扱われたバルガス。しかし、日本軍侵攻に際しては「マニラを守るため最善を尽くせ」というケソン大統領の命を守って、マッカーサー米極東軍最高司令官にマニラ放棄を打診し、比島行政府長官時代には日本軍の暴政から国民を守ることに腐心したとされる。

 経歴を見ると、戦後は八〇年に八十九歳で死去するまで、政治から距離を置いて生きたことをうかがわせる。食品関係会社やホテル経営の傍らで、比人芸術家の作品収集やスポーツ振興、ボーイスカウトの普及活動などを精力的に続けた。このため、戦後生まれの比人の間では「比島行政府長官」「対日協力者」としてよりも「美術品収集家」「スポーツ振興の父」として知られているようだ。

 その名を冠した美術館には、十九世紀末から一九六〇年代にかけて制作された、フアン・ルナら比を代表する芸術家の油彩など約五百点が展示されている。図書室の蔵書数は歴史・芸術関係の書籍や雑誌など約四千八百点。いずれもバルガスの個人コレクションだったが、死の二年前に「(私大の)デラサールやアテネオには独自の美術館があるのに、比大にはない」と母校へ寄贈した。

 戦後六十年。美術館一階の展示スペースでは十月二日まで、「比島行政府長官バルガス」に光を当てる特別展「バンザイ・日本占領期の政治宣伝用資料」が開かれている。展示物は、戦時中にバルガスが収集した日本軍の比占領政策用ポスターやチラシ、切手など。「比独立」を報じる一九四三年十月十五日付の新聞記事や「日本軍の善政」を宣伝する写真もあり、比で暮らす日本人にとっては、ぬぐい去ることのできない「過去」の一面を知る好機になるだろう。

 美術館職員で、比大大学院で国際関係論を専攻するバンビー・ヘルミダさん(22)は言う。「バルガスは『マニラを守れ』という大統領命令を実行するため、対日協力という方法を選んだ。単なる美術品収集家ではない、彼の歴史的役割を知ってもらいたい。特別展がそのきっかけになればと思う」。ケソン市にある比大ディリマン校の一角に立つ美術館。その正面入口近くには、バルガスの担った歴史的役割を代弁するように、十六世紀にスペイン侵攻からマニラを守ろうとした英雄ラハ・ソリマンの像が立っている。(酒井善彦)

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 開館時間は午前九時・午後四時。月曜日休館。入館料は二十ペソ(水曜日は無料)。問い合わせ先の電話番号は九二七・一九二七。

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