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8月6日のまにら新聞から

名所探訪「レクト通りの古切手専門店」

[ 1029字|2000.8.6|文化 スポーツ (culture)|名所探訪 ]

日本軍政の軌跡しるす

 マニラ市北部のレクト通りの学生街。場所柄、古本屋が目立ったが、古切手専門店を見つけた。所有する二十万枚以上の中に、日本軍のフィリピン占領時に発行、使用された切手があり、四年間の日本軍政の軌跡がうかがえた。

 日本軍は太平洋戦争ぼっ発一周年に当たる一九四二年十二月八日に記念切手を発行。資材調達が困難だったためか、米占領時に発行された切手を再利用した。下欄の「UNITED OF AMERICA」「COMMON WEALTH」とあった小さな文字は塗りつぶされ、その上の米空軍機と帆船の図柄の上に「ダイトーアセンソー イツシューネンキネン」と黒のカタカナ文字を印刷している。四三年一月二十三日発行の「ヒトーギヨーセイフ イツシューネンキネン」も同様に米国切手が代用された。

 専門誌によると、日本軍政下の記念切手は全部で三種類発行されている。最後となった四三年五月発行の「バタアンコレヒドール カンラクイツシューネンキネン」切手は独自のデザインを採用。戦意高揚を図るためか、制圧したマニラ湾、コレヒドール島、バターン半島の図、日本の兵士、軍艦、空軍機、日章旗が描かれている。

 四三年から四四年には、「比島郵便」と漢字で記した普通切手を流通させている。一センタボから五ペソまで、青、緑、オレンジなどの一色刷で計十四種類を発行。図柄は田植え、ニッパハウス、帆を上げた小型船といった三つのフィリピンの風景のほか、富士山とマヨン山を重ね合わせたユニークなものもある。通貨単位の「センタボ」「ペソ」はカタカナ表記であり、フィリピン人の混乱ぶりが想像された。

 店主は、二代目のレイナルド・デヘススさん(53)。戦時中の切手の多くは、戦前からマニラ市キアポで書店を経営していた父親のロヘリオさんが収集した。キアポの店は四一年に日本軍の空襲を受け、全焼。五一年からレクト通りに店を構えた。

 「もっとおもしろいモノがある」とレイナルドさんが店の奥から小箱を持ち出した。中から戦時中に使われたはがきや封書が出てきた。クリスマスの時期にフィリピン人同士で交わされたとみられる封書には「大日本憲兵隊検閲済」のスタンプが押され、「軍事郵便」と記されたはがきには、平和の象徴であるハトと軍事用ヘルメットを並べたデザインが施されていた。「収集家の父親の話では、ハトとヘルメットを並べたデザインは世界でも珍品」と話してくれた。 (上野洋光)

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