移民1世紀 第2部・ダバオで生きる
[ 1395字|社会 (society)|移民1世紀 第2部・ダバオで生きる ] 無料残留孤児「私は一体誰」
ダバオ市内に住むその「日本人女性」は自分の本名、正確な年齢を知らない。育ての親のフィリピン人が戦後付けてくれた名前は「レテシア・アギラ」という。年齢は拾われた時に七、八歳ぐらいに見えたことから起算して「六十六歳」にしている。髪の毛は既に大半が白く、六十歳は恐らく超えているだろう。
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ダバオ市内に住むその「日本人女性」は自分の本名、正確な年齢を知らない。育ての親のフィリピン人が戦後付けてくれた名前は「レテシア・アギラ」という。年齢は拾われた時に七、八歳ぐらいに見えたことから起算して「六十六歳」にしている。髪の毛は既に大半が白く、六十歳は恐らく超えているだろう。