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11月13日のまにら新聞から

マゼランの真の目的は? 世界初周航の内幕

[ 792字|2020.11.13|社会 (society)|新聞論調 ]

 この歴史的出来事についてフィリピン人の友人たちと話すとき、多くの思い違いがあることに気付く。博士論文のために詳しく調べたので説明させてもらう。

 マゼランの目的は世界周航でも比の征服でもなかった。1519年以前にスペインが探査を始めていた米大陸は本当にたどり着きたいと願っていたアジアへの妨げにすぎなかった。スペイン国王カルロス1世の命令は、交易のために香料諸島(モルッカ諸島、現在のインドネシア・マルク諸島)へ太平洋経由で行って帰って来ることだった。背景には1494年に航海、探査、征服、宣教のために世界をポルトガルと分割したトルデシリャス条約があった。スペインはアフリカ回りではなく、西の自分たちの海を通ってアジアへ行く必要があったのだ。

 マゼランが比滞在を延ばした理由はよくわかっていない。同行したピガフェッタは、マゼランが熱心なカトリック信者で、人々がカトリックに改宗することを願っていたと書いている。別の記録は目的のモルッカ諸島に早く向かわないことに乗員たちが不満を持っていたことを伝えている。

 有力な仮説にマゼランは自分が琉球に着いたと考えていたというものがある。根拠の1つは、注意深く取った航路が北寄りだったことだ。モルッカ諸島に直行するつもりならもっと南寄りだったはずだというのだ。もう1つの根拠は、比に着いた時、彼が香料ではなく金について尋ねたことだ。琉球には金鉱があると信じられていた。

 マクタン島での彼の敗北と死は、状況認識の不足と現地勢力の過小評価の結果だった。引き継いだ指揮官は比を発つことを決める。モルッカ諸島での交易を終え、積み荷を無事にスペインに持って帰ることを優先し、当初予定の太平洋を戻るのではなく、西回りを選択した。マゼランがラプラプに殺されなければ世界周航はなされなかったことだろう。(10日、マニラタイムズ、ホルヘ・モジャロ)

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