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11月2日のまにら新聞から

偉大な3人のフィリピン人 故人の足跡をしのぶ

[ 785字|2018.11.2|社会|新聞論調 ]

 今週は亡くなった故人をしのぶ機会。筆者も3人の偉大なフィリピン人の業績をここでしのびたい。いずれも共に仕事をしながら、その高いモラルと国民に奉仕する姿に敬意を覚える人物だ。

 2014年4月に88歳で亡くなったエミリオ・ヤップ氏は、マニラホテルやブレティン紙などの会長職を務めた慈善活動家だった。中国・福建省の生まれだったが、心の底から比人だった。1995年にマニラホテルが民営化された際、外国資本による買収を阻止するため立ち上がった。歴史ある同ホテルは比人によって維持されるべきと考えたのだ。高いモラルを持ち、ホテルにカジノを導入すべきという議論が出た時も、家族が破壊されるとして即座に反対した。海外に出稼ぎに行かずとも国内で仕事ができるよう、雇用促進や奨学生制度、医療支援などに尽力した。

 2016年3月に95歳でこの世を去ったサロンガ元上院議長は高い理念を持つ政治家だった。1987年から始まった国会で、上院議員に初当選した筆者が一緒に働く機会を得て、その威厳ある政治信条に感銘を受けた。政治的駆け引きには無縁で、反クーデター法や汚職防止法、国家公務員行動倫理基準法などを立て続けに策定し通過させた。一番年少だった筆者に最多の委員会を任せるなど若手も登用した。

 また、2015年10月に73歳で没したヘレラ上院議員も一時代を背負った政治家だった。フィリピン革命の頭脳と呼ばれたアポリナリオ・マビニと同じ小児麻痺の後遺症を持ちながら、その卓越した頭脳を国の発展に捧げた。労働運動と人権問題に取り組み、移民労働者法や技術教育技能開発庁を創設する法律などを主導した。国内最大労組連合も率いたが、障害者や先住民、女性や若者などさまざまな人々の福利厚生の拡充に尽力した。これら偉大な先輩たちの功績が国民を導いてほしい。(10月30日・ブレティン、ジョーイ・リナ)

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