台風ヨランダ(30号)
レイテ州パロ町で暮らしていた日本人男性が自殺していたことが15日までに分かった
台風ヨランダ(30号)で大きな被害を受けたビサヤ地方レイテ州パロ町で暮らしていた日本人男性(75)=千葉県柏市出身=が今年1月、自宅で首をつって自殺していたことが15日までに分かった。フィリピンの日本大使館によると、大使館が把握している中で、台風ヨランダで被災した日本人生存者が死亡したのはこれが初めてとなった。
男性のフィリピン人妻(41)がこのほど、マニラ新聞に明らかにした。「家の前で『ありがとうね』と言って、抱きしめてくれた。いつもと変わった様子はなかったのに……」││ 。夫の遺体を発見した当日を妻はこう振り返った。
夫が命を絶ったのは1月26日。妻はこの日、ジプニーで約30分離れた州都タクロバン市の市場に、夫の好物だった「ピザ」と「カツ丼」の材料を買いに出ていた。午前9時半ごろに家を出、買い物を終えて自宅に戻った午後2時ごろ、玄関のドアを開け、がれきの中から拾ったとみられる茶色のロープを首に巻きつけた夫の遺体を発見したという。
ロープの先は屋根裏に続く階段の上段に固く縛られ、そばには倒れたイスと小さなテーブルがあった。
テーブルの上には遺書があり、知人への感謝の言葉と妻への謝罪がつづられていた。「俺は今でも幸福だ。自分のため、人のために死ねる」と締めくくられていた。所管する警察が遺書を預かっているという。
夫婦が結婚したのは1996年。結婚直後は日本で生活したが、97年にレイテ州に移住。宝くじ売り場や氷の販売店などを経営、収入は安定していた。しかし、昨年11月8日、ヨランダが夫妻の全ての生計手段を奪い、その後は無職だった。
自殺した日は、被災から2カ月以上が経過していたが、パロ町の電気は復旧しておらず、2人の生活再建はめどが立たず、知人から借金して暮らす状態が続いた。高潮に襲われた恐怖も重なり、夫は気落ちしていたという。
11月8日未明に暴風が押し寄せ、高潮が1階を飲み込んだ。衣服や旅券など家にあった物ほとんどが流された。金庫の中に保管していた現金や宝石類も、被災後、夫婦が留守の時に盗まれた。
手元に残っているのは、がれきの中から見つけたSDカード(カメラなどに使う記録媒体)と期限が切れた夫のパスポートのみ。思い出の写真は、SDカードに保存された数十枚だけ。カードには、夫の75歳の誕生日を祝った時の写真があった。写真にはろうそくが飾られたケーキと、幸せそうに笑顔を見せる夫婦が写っていた。
妻によると、夫は足腰が弱り、被災前から体調が優れず「レイテで死にたい」と口にしていた。夫の父は第二次世界大戦でレイテ州で戦死し、特別な思いを抱いていたという。
遺体は2月、タクロバン市内に埋葬された。妻は4月7日に首都圏パサイ市の日本大使館を訪ねて夫の「死亡届」を提出、受理された。
妻は墓前で「今は電気が戻ったよ。でも、電気がなかった生活も懐かしいね」と話しかけているという。3月、ようやく氷販売店の営業を再開できた。あふれ出る涙をぬぐいながら妻は「今でも夫を愛しています。これからもレイテ州で暮らします」と気丈に話した。
日本大使館の話 「日本人男性の自殺は大使館としても確認している。把握している中では、台風ヨランダ被災者の日本人が亡くなったのは初めてです」(鈴木貫太郎)