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9月24日のまにら新聞から

半世紀前の古傷開く

[ 671字|2001.9.24|社会 (society)|新聞論調 ]

米中枢同時テロの惨状

 米国の「富と正義」は、ベトナムやコソボなど敵対した国々を冷酷なハイテク兵器の攻撃にさらし、その国の民衆に苦難を強いてきた。米国民が世界貿易センターや国防総省で目の当たりにした残酷な死は、ごう慢な米国外交の帰結点だったように思う。

 米国といえども、国際的ネットワークを持った「ローテク・テロ」にはその弱点をさらした。報復の方法選択、計画には、この点を十分考慮するべきだろう。

 また、うずく古傷をいたわり続ける人間がいることを忘れて欲しくない。私は一九四五年にあった「マニラ市街戦」の生き残りの一人だが、貿易センタービルと国防総省の向こう側に、廃虚になったエルミタ、イントラムロス、マラテを見た。血まみれの人々を見て、思わず「戦争中のマニラだ」とつぶやいた。そして、がれきの中で行方不明になった夫を捜し続ける若い米国人女性の姿に半世紀前の私自身の姿を重ねた。

 四五年、日本軍はマニラ市南部を拠点に抗戦した。家々に火を放ち、機関銃でフィリピン人を殺せるだけ殺した。一方、米軍は上空から砲爆撃を続けた。

 フィリピン人犠牲者は十万人以上と言われる。私は四五年二月七日から両親と兄弟を捜し求めて廃虚と化したマニラ市街を歩き続けた。日本軍による虐殺と放火、米軍による無差別爆撃の結末がそこにあった。

 戦後、私の心の中には常にこれら恐怖と死に満ちたシーンがあった。忘れようともしたが無駄だった。恐らく、今回の同時テロで肉親や友人を失った人々も同様だろう。一生消えない悲しみのリングを心にはめられ、迫り来る死に悩まされ続けるのだ。戦争に勝者はない。

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