中韓両国に加われ
歴史教科書問題
歴史教科書問題をめぐり、日本と中国、韓国の関係が悪化している。侵略行為について、日本政府は「謝罪」を何度も口にしてきた。しかし、何かが欠けていたために、真の謝罪を求める心の渇きをいやすには至っていない。教科書問題は、「謝罪」が謝罪として受け止められてこなかったことを物語っているのだ。
中韓両国は、国の誇りをかけて「歴史的な正義」の実現に取り組んできた。我が国はどうか。最大の戦争被害国でありながら、両国と手を携えて正義を追求していない。恥ずべきことだろう。
戦後、フィリピン人が日本から得たものは真の謝罪ではない。米国の圧力で結ばれた対日講和条約に基づく賠償金だけだ。賠償金は旧日本軍の侵攻により受けた物的被害に対する賠償でしかないことを忘れてはならない。百万人以上の同胞を殺されたフィリピン人として求めるべきもの︱謝罪︱の代わりには決してなり得ない。
謝罪を遮二無二求めていくことは得策ではないという意見もある。日本政府が援助を打ち切ってしまうかもしれないという懸念からだ。元従軍慰安婦や旧日本軍による虐殺被害者の補償問題で、フィリピン政府は正義の実現より援助の継続を選んだ。「恥」の上塗りとしか言いようがない。
戦争を経験した世代は、次々にこの世を去ろうとしている。そんな今だからこそ、私たちは国の名誉をかけて日本に過去の過ちを知らしめ、謝罪させなければならない。中韓両国と手を携えなければならない。
そして、謝罪を求められた日本政府が援助を打ち切ったその時、我々は「援助が私たちを助けるためではなく、私たちの口を封じるために続けられていたこと」を知るだろう。(12日・トゥデー)