比の「地元の魚」は嘘? ティラピアの歴史
ラグナで生まれ育った私は、ティラピアを地元の魚と信じて疑わなかった。そのため、数年後に聖地を旅した際にガリラヤ湖周辺のレストランで「サンピエトロの魚」を嬉々として注文し、昔から慣れ親しんだ魚が出てきた時は驚いたものだ。
ティラピアという名は南部アフリカのバントゥー語由来、ギリシャ語とラテン語の混合などの説がある。元はアフリカや中東原産、古代エジプトにもその養殖と消費が記録されているという。
さらに、比に持ち込まれたのは比較的最近とは衝撃だろう。モザンビーク産のものが1950年に持ち込まれたがあまり受け入れられず、72年にタイ経由で持ち込まれたナイルティラピアが「大成功」を収め根付いたのだ。
当時、栄養失調に対する世界的そして比国家の懸念のなかで、特に貧しい国々において内陸養殖はタンパク質摂取量を増加させる費用対効果の高い手段と考えられていた。環境適応力が高くストレスや病気にも強い、また成長速度が速いナイルティラピアはその最も適した理想的な種とされたのだ。
比はティラピア養殖に深く関わっている。ノルウェーとの共同研究で88年に始めた遺伝子改良養殖ティラピアの「開発」もそのひとつだ。栄養学者や経済学者はティラピアの台頭を歓迎しているが、一方で在来種に影響を与えかねない「侵略者」とみる専門家もいる。
ティラピアは何百万人もの比人を養い、地元の養殖セクターで何千人もの雇用を生み出している。比の水域に最近持ち込まれた種にも、コイやサケに次ぐ世界的な種となったティラピアのような運命は待っているのだろうか。
ティラピアのミニヒストリーからも、地元産、伝統的、在来種、侵略、さらには先住民といった概念を再考させられる。(2日・インクワイアラー)