犠牲しのび比日友好誓う 日本人戦没者慰霊祭を開催 ECQ下 2度目のオンラインで
終戦から76年を迎えた15日、在比日本大使館で日本人戦没者慰霊祭がとり行われた
日本が終戦を迎えた1945年の8月15日から76年を迎え、在比日本大使館では同日、オンラインで日本人戦没者慰霊祭がとり行われ、越川和彦大使、岡島洋之公使が出席した。ドゥテルテ大統領とマニラ日本人会が先の大戦での犠牲者をしのび、比日友好の決意を新たにする言葉を送った。
防疫強化地域(ECQ)下のため、式は昨年と同様大使館内でとり行われた。越川大使、岡島公使以外の在比邦人ら希望参列者76人は、全員オンラインで参加した。
マニラ日本人会・細谷明宏代表(全日空マニラ支店長)は追悼の辞を寄せ、50万人以上の日本人と、110万人以上のフィリピン人戦没者に哀悼の意を表明。「戦時下の恩讐(おんしゅう)を超えた比人の許しと、先人のたゆまぬ努力により比日は緊密な関係を築くことができた」とし、戦没者への愛惜の念を語り継ぎ比日友好の礎にすると誓った。
ドゥテルテ大統領もメッセージを寄せ、「大戦後の灰燼(かいじん)から両国は兄弟よりも近しい関係を築き上げた。私たちは未来志向の比日関係の果実を享受しており、それは両国が共有する実りある歴史と民主主義的価値に結びついている」と戦後の比日関係を高く評価、「平和こそが永遠の使命。両国が共有する安定し繁栄したアジア太平洋の未来図に向け共に前進しよう」と述べた。
越川大使は閉会の挨拶で「平和を重んじる国としての名誉ある地位をさらに強固なものにする」と誓い、「今年は比日国交正常化65周年。コロナ下で日本自身が危機にあるなか比に支援の手を差し伸べていることに、比側は『兄弟より近しい友人』と表現してくれた。このような比日関係を築けたことを戦没者に報告できることを誇りに思う」とし、犠牲者の冥福を祈った。
また大使は在比邦人へ向けたメッセージも発信。昨年3月以来の防疫規制で邦人が直面した苦難に思いをはせ、日本帰国や生活困難者を支援する邦人に感謝と敬意を表した。その上で、「日本国政府、大使館、領事館は邦人へ情報発信、帰国困難者支援、ビジネス面での支援、一時帰国者への接種事業など、少しでも役立てるようさまざま
な面で取り組みをしてきた」と述べ、「今後ともこのような取り組みを一層強化して、ともに未曾有の危機を克服すべく協力していきたい」と邦人支援の決意も語った。(竹下友章)
ニュースワード
「太平洋戦争とフィリピン」
1945年12月8日、真珠湾攻撃と同日に日本は比に航空攻撃を開始。42年1月2日にマニラを占領。3月12日、マッカーサー米極東陸軍司令官はコレヒドール島から脱出。4月9日にバタアン半島陥落後、大量に投降した米比兵を3日間収容所まで歩かせ多数の死者を出した(死の行進)。マッカーサー率いる米軍は44年10月にレイテ島に上陸。45年2月3日〜3月3日のマニラ市街戦は、太平洋戦争最大の市街戦となり約10万人の比人が犠牲となった。9月3日、山下奉文陸軍司令官が降伏文書に署名、比にとっての戦争は終結した。比の統計では比人死者は111万人。日本軍と民間人の死者は太平洋戦争中、戦域別で最多の51万8千人。