「来年には元の活況を」 コロナ防疫1年3カ月 マニラ市マラテは今
コロナ禍以前は外国人も含め多くの人でにぎわってきた首都圏マニラ市マラテ地区。1年3カ月にわたる防疫措置が続く街を訪ねてみた
コロナ禍以前は外国人の旅行者や滞在者、地元フィリピン人でにぎわってきた首都圏マニラ市マラテ地区。1年3カ月にわたる防疫措置が続く街を訪ねてみた。50以上のバランガイ(最小行政区)で構成されるマラテ。ロビンソンズ・プレイス・マニラ以南、レメディオス・サークルのやや南までの4ブロックほど、特にマビニ通り、アドリアティコ通り、ボコボ通りには、カラオケやマッサージの店、レストランが林立する。平日の日中とはいえ、以前と比べ、人通りはまばらでどこも閑散とした印象が漂う。
▽週数回1日500ペソ
「看板は掛かっているが、閉店したカラオケ店は多い。営業しているのは一部だけだ」。2013年からこの街で夜間、カラオケの呼び込みをしてきたエリーさん(48・男性)は言う。通常のバーは徐々に営業を再開してはいるが、女性による接客を伴うカラオケ店は現在も公けには認められていない。
エリーさんはかつてバンドマンとして6カ月、日本で仕事をしたことがあり、片言の日本語が話せる。今はマラテ地区で部屋を借り、週に数回、1日500ペソでチラシを配ったり、カラオケ店に客を呼び込む仕事をして食いつないでいる。「今は仕事も少なく生活は苦しいが、来年には元の活況が戻ると信じている」と語った。
▽子どもの空腹解消を
ペディキャブ(サイドカー付き自転車)の運転手は「このカラオケ店は昨晩も開いていた」などと詳しい。「早く元の状態になって、子ども3人の空腹を解消したい」と言いながら、昼食代わりのもち米菓子「スーマン」を頬張った。
▽消えた中国人客
アドリアティコ通り沿いで2018年に開店した「日本食堂」に入った。女性スタッフは「周辺の店も開いてはいるが、旅行者がいないため、売り上げが減った。以前は特に中国人が多く来てくれていた」と振り返る。
スーパーマーケット「セーブモア」前で色とりどりの果物を並べていたパナイ島ロハス市出身の男性も「果物はフィリピン人にはあまり好まれない。以前はよく買いにきてくれた中国人がいなくなった」と肩を落としていた。
▽続く食料無料配布
一方、人口千人余りの679番バランガイでは、フィリピン大マニラ校や比総合病院などと合同で、毎日400人分のコミュニティー・パントリーを運営、食料を無料配布している。さらに月1回、マニラ市役所から隔離対象者向けの食料が届けられる。16日もトラック1台分、数百食が小分けされて届き、若い議長が荷下ろしをてきぱきと指示していた。
▽船員減少も響く
679番バランガイのスーサン・ラゴ議員によると、マラテには海外へ赴任する事前研修の船員が多くの部屋を借りていたが、コロナ禍で人数が激減したため、家主への打撃は大きい。「検査で陽性となりホテル隔離中の船員にも市は支援している」という。バランガイの医療担当、シェルリン・マラビリャさんは「現時点でバランガイの陽性者は船員だけだ。マラテは徐々に平常時に戻りつつある」と説明してくれたが、「この1年余り自宅と仕事の往復だけ。マラテは寂しくなった」ともつぶやいた。
▽議長は万全さ強調
やや貧しい地区の702番バランガイには現在、5635人が暮らす。セリア・ネポムセノ議長は「新型コロナでバランガイの収入が減ったわけではない。雑貨店など、新しく営業を始めた店も多い」と意外に明るい表情だった。
事務所前には韓国系団体から寄贈された仮設洗面所があり、手洗いを実演してくれた。「現在も夜間はバランガイ入り口で住民の出入りを制限している」とコロナ対応の万全さを強調する目の前では、子どもたちがマスクなしで元気に駆け回っていた。戻りつつあるマラテの活気を象徴していると思った。(岡田薫)