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5月16日のまにら新聞から

出版きっかけ「山下洞窟」保存へ 「ブグブントンネル」共著者に聞く

[ 1307字|2021.5.16|社会 (society) ]

研究本出版をきっかけに、山下洞窟保存の動きがより具体的に

アイダ・パラギソン氏=11日(イサベラ州からオンラインで)

 第2次世界大戦中に旧日本陸軍の山下奉文(ともゆき)大将が立てこもっていたルソン島イフガオ州の洞窟に関する歴史研究書「ブグブントンネル─山下奉文将軍の最後の隠れ家」を出版したイサベラ州の高校教師アイダ・パラギソン氏が、まにら新聞に「出版をきっかけに、洞窟保存の動きなどがより具体的になった」と語った。

 共著者のクリソル・カタリノ氏は現在、イフガオ州の山奥に滞在している。ネット接続が不安定なカタリノ氏に代わって、オンラインインタビューに応えたパラギソン氏によると、イフガオ州で10日、1時間ほどの予定で行われた出版記念会は多くの人が歴史や親から聞いた話などを語り始め、4時間半に及んだという。

 山下大将が立てこもったティノク町ワンワンの洞窟は「道なき道を2時間以上進んだ先にあり、研究は容易ではなかった」。8歳だった1945年に旧日本軍の兵士と関わりを持っていた老人や同地域一帯の先住民カラグヤの人々をはじめ、元退役軍人からも入念な聴き取りを行った。洞窟の年代特定のために、自身も関係する国家文化芸術委員会の専門家にも来てもらった。

 ▽研究の困難多く

 多くの資料も参照した。「洞窟は広く知られているのに、どの図書館にも、山下大将がいたという肝心な資料はなかった。地元イフガオ州にも優秀な研究者は多くいるが、洞窟に関心を抱く人はいなかった」とパラギソン氏は笑う。

 洞窟は村人の聖域であるため、調査には長老や国家先住民委員会(NCIP)の許可が必要だった。パラギソン氏自身はイロカノ族(大半が低地のカトリック教徒)で、父はアルブラリョ(民間治療師)。このため、コミュニティーに入るのが難しかったが、交渉で助けてくれたのは、自らが先住民カラグヤの末裔であるカタリノ氏だった。同氏は2013〜19年までティノク町の行政長官も務めていた。

 「彼は良きビデオ撮影者で、良き運転手でもあった」とパラギソン氏は感謝を惜しまない。

 6年がかりの研究・執筆は20年に一応は完成したが、「歴史研究書であるため、さらに確認作業を重ねるのに多くの時間を費やした」。

 ▽日本人慰霊者も

 パラギソン氏がバランガイ(最小行政区)ワンワンの議長に聞いた話によると、毎年1〜2回、日本人がこの地を訪れ、お供え物をし、祈りをささげている。洞窟周辺には日本人が植えた桜が少なくとも3本あるという。

 遺族を弔うため遠くから訪れる日本人がいることを知った時には「泣いてしまった。私たちはこうした悲惨な歴史の上に、良い関係を育んでいかなければならない」。「山下財宝」については「おとぎ話だ」と否定、山下大将を「軍人であり、戦争の中で命令に従っていた歯車の一つに過ぎない」と同情の思いを口にした。

 イフガオ州は洞窟とその周辺を保護区にし、財宝目当ての違法採掘や住民による樹木の伐採を禁じる計画を立てている。洞窟の修復や山道の整備も将来的には考えているという。

 パラギソン氏は「資金的な難しさがある。両国の歴史を語り継ぐ場として、次の世代にこの遺産を残すため、日本政府の協力も仰ぎたい」とも語った。(岡田薫)

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