海難事故をもう起こすな 米国調査船による客船残骸発見
78年前の1941年12月17日、客船コレヒドール号がマニラ湾のコレヒドール島沖で機雷に触れて爆破、沈没し、多くのフィリピン民間人が死亡する惨事が起きた。機雷は日本軍の侵攻に備えて米軍が設置していたものだった。犠牲者には筆者の叔父も含まれ、筆者も遺族のために、この海難事故について書いた。
また12月20日は、スルピシオライン社が運航する客船ドーニャパス号がタブラス海峡でタンカーと衝突したアジア最悪、史上最悪の海難事故が起きて32周年だった。生き残ったのは乗客4386人のうち24人だけで、この客船は「アジアのタイタニック号」とも呼ばれている。
米国の調査船「ペトレル号」が比国立博物館と提携してドーニャパス号の残骸を発見し、詳しく調査していることを筆者は同じ20日に知った。報告書によると、ドーニャパス号はシブヤン海の深さ500メートル以上の海底に沈んでいたという。その残骸の写真も公開された。
著名実業家の故ポール・アレンが組織した海底調査事業はフィリピン海などに多数沈む日米軍の戦艦などを捜索するために立ち上げられた。ミッドウェー沖で日本の戦艦赤城を見つけたほか、レイテ湾沖でも日本の空母加賀や米軍の戦艦レキシントンなどを発見している。さらに、広島や長崎に落とされた原爆を運んだ重巡洋艦インディアナポリスはこの爆弾を荷下ろししてから1週間後に日本の潜水艦によってフィリピン海で沈没させられているが、その残骸も突き止めている。この艦には1196人の米国人水兵らが乗船していたが、生還できたのは316人。米海軍史上、1隻当たり最大の犠牲者を出した。
ペトレル号の関係者は戦艦の捜索中に比の住民たちからドーニャパス号の残骸も見つけて欲しいと要請されていた。レイテ島から定員を大幅に超過した乗客らをマニラに向けて運んでいたドーニャパス号はタンカーと衝突後、船体火災が起き、火の海となった海上に大勢の乗客が飛び込み、さらに被害が拡大した。このような悲劇を再び繰り返してはならない。(24日・スター、ボビット・アビラ)