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3月7日のまにら新聞から

地域開発

[ 1531字|2016.3.7|社会 (society) ]

レガスピ市で、日本人研究者開発の新手法による地域開発。日本の自治体も協力

レガスピ市タイサンの事業地で飯田市の経験を伝える飯田市公民館の木下巨一副館長(右端)=織部資永さん提供

 ルソン地方アルバイ州レガスピ市で実施されている日本の非営利法人(NPO)による地域開発事業が、かつてないほどの成功を収めている。事業成功の鍵は、日本人研究者が開発した新しい開発手法と、先進的な住民自治を実現している日本の自治体の協力にあった。

 事業が実施されているレガスピ市タイサンには、2006年のマヨン火山噴火と台風レミンで被災した避難民が定住している。日本のNPO法人「ふるさと南信州緑の基金」は、国際協力機構(JICA)の草の根技術協力事業を利用して2013年からこの区域で事業を開始。タイサンを構成する六つの再定住地の住民を集めて住民組織を立ち上げ、地域の課題を話し合った。会員は次第に増え、16年1月現在で159人。今や組織の運営は住民自身で行われている。15年3月ごろに完成した地域の公民館も住民がすべて管理運営し、講師を呼んでマッサージやダンス教室などのレクリエーション活動が行われている。当初、この区域に存在しなかった各世帯への水道供給も市と住民組織の連携で少しずつ行われ、組織による水道料金徴収も始まった。

 組織立ち上げ時に掲げられた11の課題のほとんどが、事業開始からわずか2年半ですでに解決済み。これまで、日本の政府開発援助(ODA)など地域開発事業の多くが住民の組織化に失敗したり、事業終了後に長続きせず自然消滅していた中、タイサン事業の成功は驚きだ。緑の基金のプロジェクトマネジャー、織部資永さんも「想定を超える」と驚きを隠せない。

 ここまで事業が活発に進んでいる理由は、緑の基金が導入した「参加型地域社会開発」(PLSD)という開発手法にある。日本福祉大の大濱裕、余語トシヒロ両教授によって1980年代後半に開発されたこの手法は、支援地域に入り込み住民主導の組織作りを目指すという従来の方法に加え、「地域固有の社会システムの分析」と「行政を巻き込む」という点に力点を置いている。

 実際に、タイサンでは半年間、緑の基金のスタッフが住み込み、事前調査を行った。その結果、違う地域から来た避難民同士では関係が希薄だったが、六つの再定住地ごとに住民団体が構成されていることが分かり、これを土台として組織作りが行われた。

 一方で、レガスピ市職員や地元のビコール大、関係バランガイ(最小行政区)役員らで構成されるワーキンググループを作り、住民だけでは解決できない課題に対し、行政が資源や技術提供という形で側面から支援できる仕組みを作った。これにより、地域開発に対する住民、行政双方の意識が高まり、持続的な事業運営が可能になったという。

 タイサンの事業を後押しするもう一つの要因として、長野県飯田市による全面的な協力がある。同市は、地区ごとにある20の公民館を拠点にして住民が率先して地域の課題を話し合い、解決する土壌ができあがっていた。これに対し、市側は各公民館に教育委員会から「公民館主事」を置き、住民自治を側面から支援している。織部さんによると、飯田市はPLSD手法を体現しているという。タイサンの事業では、毎年レガスピ市の職員や住民リーダーを飯田市に招いている。また、同市からもタイサンに人を派遣し、視察を行っている。

 飯田市公民館の木下巨一副館長によると、これまでは飯田市がタイサン地区の事業を支援する形だったが、最近、そこに変化が生じ始めた。「飯田も見習わにゃいかんな、という声が視察した市民から上がっている」と木下副館長。今では、目的意識をはっきりと持ち、プロセスが見えるタイサン住民の活動を飯田市側が参考にしているという。支援側と受益側の立場を超えて互いに刺激し合う関係が生まれつつある。(加藤昌平)

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