新年企画3
バルテ大統領府報道官補。「母親」と「次官」、異なる2つの顔に迫った
2013年5月31日午後8時すぎ、首都圏でも治安が良く、多くの日本人駐在員も住むタギッグ市フォートボニファシオの高級コンドミニアムで、死者4人を出すガス爆発が発生した。近くのショッピングモールやレストランでは多くの人々が「金曜夜の団らん」を楽しんでいた。
そのとき、アビー・バルテ大統領報道官補(次官待遇)は事故現場から車で10分ほどの自宅にいた。6歳=当時=の息子を寝かしつけようとしていた。爆発事故の一報を受けたバルテ報道官補は、ベッドで寝に着いたばかりの息子にこう言い聞かせた。「用事ができたから、仕事に行ってくるわね」。
優しい顔を見せていた「母親」としての気持ちをここで素早く切り替え、「大統領府報道官補」として、急きょ騒然とした雰囲気に包まれた「仕事場」に駆け付けた。
大統領報道官補は毎日行われる記者会見で記者の質問に答える。定例公務に加え、日々発生する問題に対し政府の公式見解を発表。バルテ報道官補はアキノ政権発足から3年間、土日の記者会見も担当したため、丸1日休める日はほとんどなかった。
政府報道官の役割を担っており、事件・事故の発生時となれば昼夜の別なく、報道陣から政府見解を求められる。バルテ報道官補は今も毎朝5時に起き、8歳の息子が通学するのを見届けて、首都圏マニラ市の大統領府に出勤する。
入学式や運動会、クリスマス行事など息子が「母親」を必要とする場面では、スケジュールの合間を縫って必ず顔を出すという。報道官補は「入学式など息子にとって大切な行事を欠席したことは一度もありません」と断言する。
「育児や家族サービスのための休暇を取得しづらい環境」が当たり前の日本人にとっては、多忙を極める政府高官が子供の学校行事出席のため休暇を取るとは、にわかに信じがたい。「不規則な仕事をこなす中で、どうやったら家族のために時間を割けるのか」とバルテ報道官補に重ねて聞くと、「アキノ大統領は家族のための休暇申請に関して非常に寛容ですから」とこっそり明かしてくれた。
「仕事と家庭」の両立の陰には報道官補自身の努力だけでなく、「上司」であるアキノ大統領の「子育て」に対する配慮と理解が大きく関係しているようだ。
バルテ報道官補は政治の世界へ身を投じる前、弁護士として活躍していた。医師の父からは幼いころから「自分とは違う道を歩むよう」教育されていた。高校生のころから夢見ていた弁護士になるため、デラサール大学を2002年に卒業後、アテネオ大学法科大学院に進学。2009年、アキノ大統領の選挙対策本部の広報に関わったことがきっかけで翌年7月、大統領府報道官補に就任した。
バルテ報道官補自身は、性別を理由にした社会的な重圧が原因でキャリアを諦めたことはないという。「女性はどうせ専業主婦になるから」「かわいい顔をしているだけで、法廷で戦えるわけはない」。男尊女卑の古い考えを持つ男性弁護士に小ばかにされたこともある。しかし、その度、仕事の内容で評価されるよう男性に負けない成果を出してきたという自負がある。
恵まれた環境の中で培った才能と実力を発揮し、29歳の若さで大統領府報道官補の立場に上り詰めた。しかし、報道官補として仕事をこなす中で、この国が抱える数々の問題に直面し、悩むことも多かった。今後の人生設計について聞くと、「貧困問題は根深く、一夜にして解決できない。しかし、すべてのフィリピン人が、明日の食卓を心配することなく安心して暮らせる社会作りに貢献したい」と力強く答えた。(鈴木貫太郎)