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7月6日のまにら新聞から

ハロハロ

[ 603字|2015.7.6|社会 (society)|ハロハロ ]

 太平洋戦争中、山形県の温泉街に学校ぐるみで集団学童疎開したが、最近、当時の生活や学習状況をまとめた資料集が保管されていることを知った。集団疎開の記録を保存しようと、小学校のあった東京都江戸川区が学校関係者からの実情報告などを基に編さんしていた。終戦まで1年余りの集団生活だったが、資料集を読んで、あらためて毎晩、シラミやノミと格闘しながら寝たほろ苦い記憶を思い出した。

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 資料集によると、江戸川区は東京大空襲に備え、慌ただしく集団学童疎開計画を立案し、短期間で実行した。東京を出発したのは、終戦のほぼ1年前の昭和19年8月17日。全員が駅頭で泣きながら肉親との別れを惜しんだとあった。山形県が江戸川区の全小学校を受け入れ、児童2千人近くが県内8地区の温泉旅館などに収容された。在校していた小学校は温海温泉(現・あつみ温泉)が割り当てられ、大きな老舗旅館に入った。

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 各地区の日常生活は多岐多様だったらしい。その様子は一日の生活・学習状況を時系列で紹介している訓導(現・教諭)の記述などから推察できた。関係者が食料の調達にも奔走した苦労もうかがえた。ただ、残念ながら収容された温海温泉関係は1人の訓導しか資料集に寄稿していなかったため、詳しい生活状況は再確認できなかった。温泉街近くの神社には学童疎開記念碑が建立されているという。機会をみて訪ねてみたいと思う。(富)

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