主体的判断を示せ
マルコス埋葬問題
故マルコス元大統領の英雄墓地埋葬を認めるか否か。アキノ大統領はその判断をビナイ副大統領に一任したが、大統領のこの姿勢は正しいとは言い難い。なぜなら、英雄墓地への埋葬は元大統領を「国の英雄」として遇することを意味するためだ。
例えば、道路の名前を「マルコス通り」から「アキノ通り」に変更すべきか否か、その判断を他人に委ねても結構。しかし、英雄墓地への埋葬問題で大統領は副大統領任せという客観的立場を取るのではなく、主体的な判断を示すべきだ。
確かに、英雄墓地には「真の英雄」からかけ離れた多くの「悪党」が眠っている。だからといって、元大統領の埋葬を認めれば、悪党をさらに一人、恐らく比史上最悪の悪者を英雄墓地に葬ることとなるのだ。さらに言えば、これは元大統領による苛政(かせい)という負の歴史を葬り、真実をねじ曲げることを意味する。
アキノ大統領は、判断一任の理由を「わたしが何を言ってもバイアスがかかるから」と説明したが、埋葬の可否判断は大統領の個人的利益にかかわる問題ではない。全国民の重大問題ということを悟るべきだろう。なぜなら、戒厳令下に危害や侮辱を受けたのは国自体であって、決してアキノ家だけが被害者ではないからだ。
埋葬問題に関して、アキノ大統領が偏った判断を下したとしても、われわれは気にしない。「アキノ家のための正義」と「全国民のための正義」を追求するため、「英雄とは国のために命をささげた人物のことであり、自己のために国民を虐殺した人物のことではない。なすべきは、マルコス家にその罪を償わせることであり、元大統領を英雄にすることではない」と宣言してもらいたい。(3日・インクワイアラー、コンラド・クゥイロス氏)