上院議長の駆け引き
元首に挑む上院
比上院は一九一六年に誕生して以来、常に国家元首に対して反抗的な態度を取ってきた。相手が総督であろうと大統領であろうと、上院はいつもマラカニアン宮殿に挑戦的だった。一方、下院は国家元首に対して協力的であり、保守の牙城となってきた。だが、最近では下院も政党リスト制導入でセクター代表が参加し、異なる特徴も出てきている。
最初の上院議長を務めたのはマヌエル・ケソンである。彼は当時まだ外国人だった国家元首に対して批判的で、その後の上院の伝統を形成したと言える。ケソンはコモンウェルスの大統領に就任すると一院制の国会を率いる議長に自分の子飼いの政治家を起用し続けた。一九三〇年代後半になると大統領職と議会の長を実質兼任することに疲れたケソンは二院制の復活を提唱。過激な政治変革の影響を受けにくくし、上院を将来の大統領を育成できる場とするよう努めた。
現在、上院はそれまでのアロヨ大統領に対する協力的な態度を一転させ、大統領に対する敵意をむき出しにしつつある。しかし、ドリロン上院議長は大統領に対する怒りを表面に出した最初の上院議長ではない。ガルシア大統領に敵対したロドリゲス上院議長や、ディオスダド・マカパガル大統領に対抗したフェルディナンド・マルコス上院議長の例が知られている。
現在、大統領と上院議長の駆け引きが表面化している。問題はどちらがより世論の操作に優れ、法的、政治的手段を尽くして相手の戦略を阻止し、上院議員らの支持を取り付けるかだろう。ドリロン議長がリスクを冒してまで大統領に挑戦するか否かは見物だ。(4日・インクワイアラー)