移民1世紀 第2部・ダバオで生きる
日本就労に将来賭ける
ダバオ日本人会のジュセブン・オステロ会長(34)は日系三世。父の日本名は「タクミ・ミノル」という。祖父は一九三九年に祖母の比人女性と結婚した「タクミ」という日本人男性。祖父関係の書類や写真は戦後、祖母が焼くなどしたため一切残っておらず、ダバオにとどまらざるを得ない日系人の一人だ。二〇〇一年に二世から会長職を引き受けたものの、心中は「ダバオの日系三、四世はみな日本出稼ぎに行っている。私だって父の戸籍が見つかれば日本へ行きたい」と今も揺らぎ続けている。
出稼ぎで周りの日系人の生活が日増しに改善していく中、日本へ行けない日系人の「日本へ」という渇望は高まるばかり。オステロ会長は「日本政府は書類だけで判断するのではなく、ダバオに来て二世たちの話に耳を傾けて欲しい。それぞれが一冊の本になるような話を直に聞けば、うそを言っているのかどうか分かる」と「置き去り組」の思いを代弁する。
二世の本人確認やビザ審査で書類が重視されるのは、九〇年代に入り日系人を装って日本入国を図る比人が続出したためだ。
同日系人会理事の一人によると、当時はコピーした戸籍謄本に日本の市役所の偽造印を押した書類が多数出回りビザ申請に使われていた。現在も「日本に日系人を送っているダバオ市内の人材派遣業者は約二十社。中には日系人から戸籍謄本を買い取り、他人を日本へ行かせている業者もある。日系人を食い物に金もうけをする日本人はまだいる」という。
悪質リクルーターから日系人の利益を守るため、全国十五の日系人会からなる比日系人会連合会(カルロス寺岡会長)は一九九八年に日系人互助財団を設立、二世の戸籍探しと「日系人の日系人による日系人のための人材派遣」に乗り出した。雇用先でのトラブルを防止するため新設した研修センターでは、これまでに三、四世計約千二百人が日本語や日本の習慣を学んだ。また、実際に日本へ向かう日系人からは財団を通じて八・十万円の手数料を徴収、財政基盤の弱い日系人会に分配して連合会全体の組織力向上を図っている。
人材派遣の独自ルートを持つダバオ日系人会でも一人当たり五万円の手数料を取り、同会の事業展開に充てる計画だ。
この手数料を敬遠し、人材派遣業者を利用する日系人も少なくないが、オステロ会長は「出稼ぎで豊かになった生活は、日本へ行けなくなれば(資産売却などにより)ゼロに戻ってしまう。大切なのは、日系人会を共有財産と認識し出稼ぎ金の一部を会に託すこと。事業で資金を循環させれば、出稼ぎの必要はなくなり、日本へ行けない日系人の救済策にもなる。ブローカーに払った手数料は彼らの私的利益になるだけ」と強調する。
日系人一人一人の自立が日系人会の自立、そして日系人会の自立が日系人の自立につながる。その思いは寺岡会長(72)も同じ。「戦後、日系人は比社会のどん底へ追いやられ、誰も見向きしなかった。出稼ぎで日系人社会がレベルアップすれば見方は変わってくる。財団を通じた資金援助で地方組織も活性化させて強い日系人社会を作りたい」
今月二十六日には日系人会連合会の第七回全国大会が西ネグロス州バコロド市で開かれる。九七年の前回大会は、二世たちが集団帰国し、日本政府に日本国籍の確認と身元調査実施を求める陳情を繰り返す中で行われた。会場は全国から集まった日系人約五百人で埋まり、日本就労と生活向上への期待に包まれた。
あれから六年。今回の全国大会は、一部二世の身元確認など未解決の課題、二世から三世への世代交代の進め方、そして日本出稼ぎの実現という「果実」を日系人社会の将来に生かしていく方策を模索する場になる。 (つづく)