「無条件の愛」とは
同性間の結婚問題
二十二日に開かれる「第四回世界家族会議」(マニラ大司教管区主催)で、ゲイの権利保障を求める団体がカトリック教会に対し、同性愛者による夫婦の認可と会議への参加許可を申し立てている。
同性愛者団体の訴えは注目に値する。無視される可能性は高いとはいえ、うまくいけば同性愛者にとって重要な問題が議題に上ることになる。
社会からの受け入れが段階的に進んでいるとはいえ、同性愛者が歓迎されていないと感じる機会は依然多い。
一九七五年以来、ローマ法王庁は「同性愛をめぐるし好や感情は個人の自由で、誤りではない」との姿勢を示している。だが、同性愛行為については罪であると定義している。
多くの同性愛者は法王庁の見解にそぐわぬよう、うまく折り合いを付けて、同性愛行為を続けている。だが、精神的にはカトリック教会が彼らの行いを毛嫌いするとの思いは残ったままだ。神父や修道女も含む多くの人が自分の同性愛し好を公表せず、性行為を抑制し続けている。
また、法王庁が存在を容認しているにもかかわらず、同性愛感情は一般の家庭で「異常」、「病気」、「重大な罪」とみなされている。同性愛し好は「悪魔の仕業」であり、父親や兄弟がこれを矯正しようと虐待する場合も多い。女性同性愛者がレイプなどの仕打ちを受けることもあるという。
「男女が相互に補完し合う」として、カトリック教会は異性間の結婚だけが神の前で認められると主張し続けている。法王庁はこのほど、政治家に対し「同性間の結婚を認めることは論外である」との通達まで出した。
世間や教会の敵意の前に、子供の同性愛を容認する親は例外的だ。だが、彼らこそがキリスト教の説く無条件の愛を実践しているのではないだろうか。(20日・タイムズ)