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6月9日のまにら新聞から

デラサール博物館

[ 1078字|2002.6.9|社会 (society)|名所探訪 ]

知識層の生活文化伝える

 マカティ市から車でアギナルド・ハイウエーを経由して南へ一時間半。デラサール博物館はカビテ州ダスマリニャス町のデラサール大学構内にある。スペイン植民地時代後期の十九世紀に出現したイルストラド(新興知識階級)の暮らしぶりを今に伝えている。

 前政権の教育長官で同大学長も務めたアンドリュー・ゴンザレス氏の肝入りで二年前にオープンした。ピナトゥボ山噴火で被災したパンパンガ州の旧イルストラドのコレクションを保護するのが目的。

 延べ床面積は二千平方メートル余り。一階が石造りで二階が木造の折衷様式。スペインの意匠を巧みに融合した建物がイルストラドの生活感覚を象徴している。ペルシャじゅうたんやボヘミアグラス、英国産の家具など館内の家財道具は、すべて当時のもので、関係者が寄贈した。ホセ・パンリリオ館長自身も、家具など大量のコレクションを提供している。

 「実際は、この三分の一ぐらいの規模の建物が多かったそうです」と言うパンンリリオさんの案内で館内を見て回った。ピナトゥボ山の噴火で被災した家屋のタイルを階段の踊り場に移設するなど、資材の一部にアンティークを採用。新築とは思えない重厚な雰囲気を醸し出している。

 スペイン系や華人系メスティーソらで構成されたイルストラドには、子弟を宗主国スペインなどに留学させる財力があった。海外の文化吸収に積極的だったことは、英国調のデザインにラタンをあしらったいす、ヨーロッパ風の花柄の壁画に山水画の筆致で描き込まれた竹や鳥類を見れば一目瞭然(りょうぜん)。知識層らしく、進取の気性に富んでいたことがうかがえる。

 その反面、厳格な階級意識をうかがわせるのが部屋の周囲に張り巡らされた回廊の存在。風通しを良くするため、部屋と回廊の仕切りは通常開け放れていて一見、開放的だ。しかし、「使用人が部屋を横切ることは決して許されなかった」という。

 使用人の「インディオ」と呼ばれていた原住民は、わざわざ回廊を巡って主人の用事を聞いて回ったという。室内の床材は回廊より高価な「カマゴン」が使用された。高級品として知られるナラ材より、さらに上質な材料だという。使用人部屋の床は竹製だ。

 その一方、イルストラドは、同等、ないしは上の階級に属する「エリート仲間」には寛容だった。植民地政府の高官や有力者を招いて頻繁に催すパーティーでは、寝室を含むすべてを開放。ゲストはどの部屋にも出入りが自由で、各部屋ごとに意匠の違う天井画やインテリアを楽しんだという。開館時間は火︱土曜日の午前九時︱午後三時半。正午︱午後一時は昼休み。(相良陽子)

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