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10月1日のまにら新聞から

ハロハロ

[ 540字|2001.10.1|社会 (society)|ハロハロ ]

 まるで血を吸ったかのように赤い錆(さび)の浮き出た砲弾の破片、外壁を残すだけで、破壊しつくされた兵舎。一九五九年十月、初めて足を踏み入れたサンチャゴ要塞は、すべてが息をのむ光景だった。無数の砲弾を撃ち込んだ米軍の「焦土砲撃」。物量作戦の意味を知った。日本軍の憲兵隊はここに本部を置き、連行して拷問にかけたマニラ市民の中に、生還できた人はいなかったという。暑い昼下がり。往時を思い、背筋に寒いものが走った。

 旧マニラ市街地のイントラムロスからリサール公園一帯を、マニラ海軍防衛部隊を主体にした二万人が防御していた。隊員の多くは乗艦を失って岡に上がった海軍将兵と陸軍部隊。現地召集の在留邦人もいた。圧倒的に優勢な米軍は四五年二月十二日、火砲百二十門と戦車で攻撃を開始。約二十日後に砲声は収まったが、一度も互角の市街戦をすることなく、日本兵は砲弾と機銃弾を浴び、飢えと疲れで一万人が仆(たお)れていった。

 リサール公園に放置された無数の死体は膨れ上がって異臭を放ち、マニラホテルで重傷者は毒盃をあおり、軽傷者は手投げ弾で自決を命じられた。だれもが、子や夫、父の帰りを待つ肉親が日本にいたはずだ。いま、マニラの観光名所になっている場所で五十六年前に起きた出来事である。(濱)

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