新年連載「コネクタード:日比を繋ぐ人」⑤ 東海地方で活躍する在日比人と彼らを支援する日本人を紹介。在日比人社会研究に取り組む 高畑幸・静岡県立大教授に聞く
静岡県立大学国際関係学部の高畑幸教授は1990年代前半から在日フィリピン人の労働や暮らし、高齢化や地域社会への参加などをテーマに研究を続けてきた。1990年代に増加した結婚移民と、2000年代から増加した日系人を対象に、在日フィリピン人が日本社会の一部になってきた過程を、参与観察や聞き取りをベースにして浮かび上がらせた著書『在日フィリピン人社会―1980~2020年代の結婚移民と日系人』(名古屋大学出版会)を昨年刊行。調査地の静岡県焼津市では、外国にルーツを持つ人たちへの学習支援活動を行う「マイグラントセンター焼津」の事務局を担うなど、研究だけでなく多文化共生の実践の場にも積極的に関わっている高畑教授に、東海地方におけるフィリピン人社会の実相についてインタビューした。
(聞き手は澤田公伸)
―静岡県焼津市にはフィリピン人が多いと聞いた。
国内有数の遠洋漁業の基地がある焼津市では、水産加工の労働者として1990年代から南米の日系人が大量に流入した後、2000年代半ばからフィリピン人が急増しました。特に、ダバオから来た日系人が多く、2012年以降はブラジル人を抜いて、フィリピン人が同市の国籍別外国人数でトップを維持。現在、2200人ぐらいのフィリピン人が暮らしています。
―どういうルートでダバオから焼津市に来るのか。
焼津市の南部にある人材派遣会社の中に、ダバオから日系人を雇い入れている会社があることが大きいです。水産加工や食品加工の工場へ労働者を派遣するこの会社では400人ほどの日系フィリピン人を抱えており、新規来日するさいに渡航費用を貸し付けているほか、社宅のアパートを確保しており、日系人が来日し働きやすいシステムになっています。
―最初は社宅に住んで働く日系フィリピン人たちはその後、地元に定着するのか。
この人材派遣会社の社宅アパートがある地区は特に外国人が多いです。来日当初はアパートで暮らしますが、日本での生活が落ち着くと近くに戸建て住宅を購入して暮らすフィリピン人家庭も複数あります。住宅ローンを組めば毎月6万円ほどの支払いで戸建て住宅を買えます。家を建てると町内会に入るので、周りの日本人住民もフィリピン人に対して「地域の住民」と認知していると思います。
―これら日系人たちは、1990年代に来日していた結婚移民の人たちや、技能実習生・特定技能などで働きに来るフィリピン人と交流はあるのか。
日系人たちは、単身で来日する人もいますが親族を呼び寄せて暮らすことが多く、家族・親族が近所に住むことも多いので、日本人や他の外国人とあまり関わらなくても生活できるようです。フィリピン人の結婚移民や技能実習生らとの交流は職場の工場内に限られると思います。日系人の親族同士が助け合いながら暮らしていますが、焼津市役所でもビサヤ語(セブアーノ語)、タガログ語、英語で生活相談にも乗ってくれます。
―技能実習生の外国人の中には良い就労条件を求めて「逃亡する」ケースもあると聞く。焼津の日系人らの実態はどうか。
賃金が高い自動車関連の会社が集まっている浜松市や豊橋市に移動する日系人もいるようですが、少し賃金は低くても食品加工の工場が多く、親族に囲まれて暮らせる焼津に落ち着き、子どもを学校に通わせる日系人が多いです。日本の自治体では外国人の定住支援や多文化共生施策が普及していて、焼津市も多文化共生推進計画を策定し、外国人住民、自治会長や学校校長、学識者や商工会の代表者らからなる協議会を作り、市で様々な多文化共生のプログラムを策定しています。生活ガイドブックの発行や通訳者の配置、日本語教室の拡充、小中学校での支援員配置なども進めています。
―主にフィリピン人を対象とした学習支援活動などを行う団体について。
24年5月、フィリピン人が多い地区の防災センター(小規模の集会所)の一室を借りて、毎週1回、日本語学習と学習支援や生活相談などを行う「マイグラントセンター焼津」を立ち上げました。代表のイメルダ・カノイさんはダバオ出身で、現地の小学校で校長をつとめた経験があります。現在はフィリピン人の子どもたち20~30人が通い、日本人ボランティアは5~6人で支援を行っています。私は事務局担当です。
静岡県内にはブラジル人学校が8校あり、合計約千人の子どもたちが学んでいます。焼津にも2012年頃までブラジル人学校があり、日系ブラジル人の子どもたちがポルトガル語を使ってブラジルの教科書とカリキュラム教育プログラムで学べる学校がありました。
一方で、フィリピン人学校はありません。フィリピン政府認可の在外フィリピン人学校は世界10カ国に32校あります。名古屋市にはフィリピン人の子どもたちが通う「国際こども学校ELCC」がありますが、無認可校です。日本語習得に苦労し、学校に馴染めない子どももいるのでフィリピン人学校があればよいのですが、学校の設立は難しく、せめて学習支援をという意図で始めたのがマイグラントセンターです。
―「マイグラントセンター焼津」での学習支援活動について。
基本的に、学びたい人は誰でも受け入れています。毎回、集まってくる子どもたちの顔ぶれが変わり、親たちも一緒に来て日本語を勉強したりするので、効率的に日本語や学校の勉強を教えることは難しいかもしれません。普段は学習活動ですが、七夕やハロウィン、クリスマスなどの季節行事を大切にしており、地域のフィリピン人がたくさん集まります。また、近隣の日本人住民も協力的です。町内会長経験者らが作った「多文化共生社会を考える会」が子どもたちのために芋ほりや餅つきを企画して下さり、マイグラントセンターの行事にも顔を出してくれて、地域社会で自然と多文化交流の輪が広がっているのを実感します。
―今後の研究課題としてはどんなことに注目しているか。
日系フィリピン人との比較対象として、日本から北米や南米への出稼ぎ移民に興味を持っています。フィリピンには20世紀初めに多くの日本人が移住し農業などで働きましたが、民間企業が仲介したものでした。しかし、ブラジルに対しては日本政府が戦前だけでなく戦後も移民送り出し政策を進め、実質的に1993年まで続きました。ブラジルの日系社会の成り立ちや、日系ブラジル人の来日と出稼ぎには、フィリピンとは対照的な歴史が横たわっています。今年3月、ブラジルに日系人社会の調査に行く予定です。
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高畑幸(たかはた・さち) 日本の社会学者。大阪外国語大学大学院修士課程を経て、大阪市立大学大学院で博士(文学)を取得。専門は都市社会学、在日外国人問題。2006年に広島国際学院大学で専任講師となり、准教授に昇任後、11年から静岡県立大学に移り、同大国際関係学部の准教授に就任、18年から教授を務める。移民の流入と統合の過程に関する社会学的研究に取り組んでおり、在日フィリピン人介護者の調査で社会調査協会の『社会と調査』賞を受賞。