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シリーズ・連載

戦後60年 慰霊碑巡礼第2部レイテ編

第1回 ・ 共存する日米の慰霊碑

 太平洋戦争の最激戦地の一つ、レイテ島。フィリピン全土での日本軍戦死者は約五十二万人、うち約八万人がこの地で命を失った。日本兵慰霊碑のほぼ二〇%がこの島に集中しているゆえんだ。戦後すでに六十年、戦争を経験した世代が去り、戦争を思い出させる物も消えてゆく中で、碑の周辺に住む人々の記憶だけが日比関係史の陰の部分を照明する。...

第3回 ・ 慰霊碑ガイドで子育て

 慰霊碑ガイドとして生計を立ててきたトミ子・上原・ベルスサさん(72)も沖縄出身だ。夫の生まれ故郷、レイテ島北西部ビリヤバ町に来たのは、同じ沖縄出身の秀子・オカンポさんより十年後の一九六一年。とげとげしい反日感情をぶつけられることはなかったが、やはり戦争とは切っても切れない人生だった。

第4回 ・ 慰霊碑にも運、不運

 レイテ戦史に激戦地として残るリモン峠からカンギポット山(現地名ブガブガ山)にかけては最も日本兵の死者が多く、その数三万人とされる。当然、慰霊碑の数も多い。しかし、慰霊碑の管理となると周辺住民まかせが現状である。

第5回 ・ 現役の旧日本軍トラック

 戦没者を弔うべく建立された慰霊碑だが、祖父や父が日本軍と戦い、信仰も価値観も異なる住民の間に立っているのが現実の姿だ。日本からの慰霊訪問団の落とすおカネや利得の方に、碑周辺の人々が関心を持つのが人情というのだろう。

第6回 ・ 戦地のピアニスト

 レイテ州都タクロバン市にあるホテル・アレハンドロ。その敷地内に、古びてはいるが瀟洒(しょうしゃ)な二階建ての洋風建築がある。床はチーク材で、踏むたびに「カタカタ」と優雅に響く。

第7回 ・ そして、誰もいなくなる?

 州都タクロバン市の南は、旧日本軍飛行場跡があるブラウエン町だ。この地にある慰霊所の管理人は日本と手紙のやりとりを続けて来た。しかし、元兵士や遺族の高齢化とともに届く手紙の数も年々減っている。