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新年連載「コネクタード:日比を繋ぐ人」③ 東海地方で活躍する在日比人と彼らを支援する日本人を紹介。美濃加茂市で比人向け学童保育を運営する細野和子さん

[ 3760字|2025.1.5|社会 (society) ]
(上)子どもたちと演奏する細野和子さん(右)=2024年11月6日、岐阜県美濃加茂市で澤田公伸撮影。(下)フィリピンに送る古着の整理を手伝うKDCの子どもたちと日本人児童=細野和子さん提供

 愛知県名古屋市のベッドタウンともいわれる岐阜県美濃加茂市。もともと自動車部品や家電関連などの工場が多く、日系ブラジル人の流入が目立っていたが、2008年に発生したリーマンショックで工場の閉鎖が相次ぐとブラジル人らが大量に帰国。その間隙を埋めるように増えたのが日系人を中心とするフィリピン人労働者とその家族だった。同市は現在、全住民約6万人のうち外国人の比率が10%を超えているが、その中でもフィリピン人が最多で、人口の4・5%を占めている。住民の約22人に一人がフィリピン人という計算だ。当然、小学校や中学校などの公立学校に通う子どもたちの中にも比人生徒の割合が多い。これら比人生徒たちの教育、特に小学校に上がった子どもたちが将来、日本社会で孤立することがないよう教育支援する学童保育施設があると聞き、11月上旬に同市を訪れた。

 ▽仲間と遊び学ぶ場所

 JR高山本線の美濃太田駅から車で10分ほどの距離にある雑居ビルの1階に学童保育施設「キッズ・ディベロップメント・センター」(KDC)がある。午後4時すぎになると学校を終わった小学校2年生ぐらいから5年生ぐらいまでの外国籍の子どもたち9人が同センターに顔を見せ始めた。子どもたちは元気な声で「こんにちは」と声をかけて次々に部屋に入ってくるとまず自分たち一人ひとりに割り当てられ名前が書かれた机に向かう。

 ランドセルから教科書などを引っ張り出し、それぞれ宿題や自習を始めたが、年少の子どもが「勉強が分からない」という顔をすると隣に座っていた年長の子どもが即座に教えている。また、年長の子どもが宿題で窮すると主宰する細野和子さん(73)のもとに駆け寄り、答え方を教えてもらうと笑顔で自分の席に戻ってきた。

 自習の時間が終ると、子どもたちは細野さんの「訪問客の皆さんに楽器を演奏し、歌を歌ってあげようか」という掛け声に合わせ、自分たちの担当する楽器を鳴らし始めた。楽器演奏はとてもスムーズで、日本語の歌唱もみなとても力強い。ピアノで伴奏する細野さんが曲を変えて演奏しても、子どもたちは即座に反応し、「ミニコンサート」はあっという間に終わった。この後、子どもたちはおやつを食べたり、トランプでゲームをしたりするなど賑やかな時間を過した。ディラン君(10)は「ここでみんなと遊ぶことが一番楽しい」と言うと、トランプゲームで喧嘩になりかけた2人の仲間をすかさず仲裁していた。

 

 ▽11人の家庭教師

 この日のKDCには、静岡県焼津市から視察に来ていた外国にルーツを持つ子どもなどへの学習支援活動を行う多文化共生推進団体「マイグラントセンター焼津」のイメルダ・カノイ代表やボランティアスタッフの日本人たち、そして同センターの事務局を務める静岡県立大学の高畑幸教授らの姿もあった。ダバオ市で公立学校の校長先生も務めたことのあるカノイさんは「子どもたちが決まった机に座って宿題を自分の手で自主的に勉強する姿に感動した。まるで『大人』のように振舞っているのもすごい」と感銘を受けていた。

 在日フィリピン人コミュニティーについて研究している高畑教授も「浜松市の浜北地区では比人の園児が4割を占める幼稚園もあるなど、各地で比人の子どもたちへの教育機関による対応が大切になってきている」と紹介した上で、公教育機関で十分に対処できない小学生の児童の日本語や宿題をサポートするKDCの取り組みを高く評価している。

 また、KDCの活動に一部支援を行っている特定非営利活動法人アイキャン(ICAN)の龍田成人・副代表理事(創設者)も「細田さんは11人の家庭教師をやっているようなもの。学童保育を運営するのは本当に大変だと思う」と施設運営の苦労を思いやっていた。

 ▽日本語をベースに地域とも交流

 滋賀県出身の細野和子さんは音楽講師の仕事を辞めた後、エチオピアのクリニックでボランティア活動に従事し、フィリピン人男性と結婚してからはフィリピンのマニラにも滞在し、貧困層の人々に対する支援活動にも関わってきた。2006年に美濃加茂市に移り住んでから介護士や同市の小学校で日本語指導支援員として働いた後、同市に3か所あるフィリピン系の認可外保育所で2019年から3年弱、年長児に日本語を教える仕事に就いた。

 しかし、その後、細野さんは69歳で保育師資格を取得し、70歳で学童保育施設を自分の手で立ち上げた。そのきっかけの一つとして細野さんは、「日本語指導支援員として働いていた時期に出会った、ある日系ブラジル人の子どもの怒りのスピリットがあったんです」と言う。

すぐに人の物を壊し、同級生に暴力を振るうなど怒りっぽく暴力的な子どもで対処するのに苦労したというが、その後、児童精神科医が書いた本『ケーキの切れない非行少年たち』(宮口幸治著、2019年)を読んで「彼の心の中がすっと理解できたようでした」と細野さん。同書では認知機能の低さゆえに社会での生きづらさを抱えている人々に焦点が当てられている。細野さんは「外国人児童たちは認知機能が決して低いわけではなく、日本語教育などをきちんと受けられないことで自分を十分に表現できず、自己評価が極端に低くなったり、日本の社会で生きづらくなってしまうことがある」と思い至り、小学校に入る前の年長児教育が極めて大切だと腑に落ちたのだという。

 結局、年長児を対象とする無認可保育所を自身で運営することは制度面などで様々な制限があるため細野さんは学童保育施設の運営に変更。最初は3人の子どもたちで始めたが、今では小学1年生から5年生までの11人が放課後に通っている。ブラジル人の一人を除いてすべてフィリピン人児童だ。幼稚園児3人も週に1回日本語を学ぶ。また、毎週1回、書道の先生が来て書道教育も行うなど、日本語をベースにしたきめ細やかな学習サポートを行っている。「フィリピン人など外国人だけで学ぶ場だと少し日本語が間違っていても誰にも笑われない。だから子供たちはのびのびと勉強できるようです」と細野さん。

 また、子どもたちによる定期的な音楽コンサートも開催しており、コミュニティーの人々との交流にも力を入れている。細野さんは「子どもたちはフィリピン人として輝けるものがみんなあるんです。それを大事にして引き出してあげたい」と元気に部屋を走りまわる生徒たちを見つめながら話してくれた。

 ▽雨の日に学校まで出迎えも

 このKDCに小学2年生の娘を通わせるジョナリン西山さん(37)は、細野さんの学童保育について「日本語をしっかり教えてくれるし、雨が降った日など先生自ら学校まで迎えに行ってくれることもある。子どもを通わせていて本当に安心でき、すごく助かります」と評価している。日系比人の夫が美濃加茂市に転勤した2018年に移住したというジョナリンさんは「美濃加茂市には同胞も多く、市役所には通訳も配属されていて生活もしやすい」というが、娘の勉強が心配だったという。

 美濃加茂市では小学校に上がる前に児童が全員日本語のテストを受けて、点数が低かったり、通常の授業についていけないと判断された場合は「のぞみ教室」という簡単な日本語や日本の学校生活などを教えるための特別学級に通う必要がある。夫と共働きのジョナリンさんは娘がこの試験に合格できるかひやひやだったというが、細野さんたちの教育支援も受けなんとか合格できたという。

 ジョナリンさんは「娘が楽しそうに学童保育に通ったり、みんなとコンサートに出演したりしているのを見て、まだ幼稚園に通っている下の双子の子どもたちが『自分たちも早くKDCに通いたい』と言い出している」とほほ笑みながら教えてくれた。

 ▽日本人クラスメートに年賀状届く

 年が明けた1月1日、細野さんからメールでフィリピン人男児が書いた年賀状の画像が届いた。「うちに通っている3年生のフィリピン人男児のダイキ君がクラスメートの日本人男児、瑛人(えいと)君に宛てて年賀状を送り、瑛人君の母親が感動されて私に送ってくれたものです」とその経緯を教えてくれた。このフィリピン人男児は日本語があまり話せないため担任も困っていたが、一時期KDCに通っていたことがある瑛人君が積極的にこの男児と遊んでくれたことから、男児が年賀状に「いつもたすけてくれてありがとう。今年もあそんでね」とひらがなで書いて送ってくれたものだったという。

細野さんによると瑛人君は長期休みの時に、兄と一緒に短期間だけKDCに通っていたが、最初は兄弟げんかばかりしていたという。しかし、フィリピン人の子供たちと一緒に遊び、学び合ううちに徐々に兄弟げんかをしなくなり、外国人の子どもたちと仲良く遊ぶようになっていったという。最近ではKDCの子どもたちに自らお菓子を差し入れしてくれることもある瑛人君の成長ぶりをみて、細野さんは「この学びの場を今後も続けることでフィリピン人生徒たちの成長だけでなく、日本人の子どもたちにも外国人児童に対する理解が進むのが楽しみです」と新たな展開に期待している。(澤田公伸、つづく)

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