「日系人社会にとって良いニュース」 日比友好で4人に在外公館長表彰
越川和彦駐フィリピン日本国大使は、日比の友好と理解に貴重な貢献をするなどした個人4人に、外公館長表彰を贈った
首都圏マカティ市の日本大使公邸で12日、越川和彦駐フィリピン日本国大使は、日比の友好と理解に貴重な貢献を行うなどした個人4人に、在外公館長表彰を贈った。
同表彰を受けたのは、NPO法人「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC)の猪俣典弘代表理事とジョスエシム・ズニエガ弁護士。国際交流基金マニラ日本文化センター(JFM)元職員のセシリア・アキノさん、そして国家電力公社職員のエメリン・サンチェスさん。
冒頭の挨拶で越川大使は「それぞれの貢献を紹介できると同時に、受賞者4人に感謝を伝える機会を得られたことは、駐フィリピン日本国大使として大きな喜び」と述べた。その後、1人1人受賞者の経歴を越川大使自らが紹介し、受賞者に額入りの賞状を手渡した。
第二次大戦中に比を統治下に置いた日本軍による残虐行為などから、戦後報復を恐れ、日本人の子ら日系人は、日本人としてのアイデンティティーを隠し、山間部など僻地で貧しい生活を強いられるなどした。猪俣代表理事はそうした家庭を丹念に訪ね歩いて身元調査を行い、無国籍状態にあった日系人らの日本国籍取得に向けた法的問題解決に努め、生活や教育への支援活動にも携わってきた。こうした尽力によって、これまでに約3千人以上のデータが集まり、その半数近くが日本国籍を取得してきたという。
猪俣代表理事はまにら新聞に「正直、日本政府がフィリピン残留日本人問題にここまで力点を置いてくれた経験は過去になかった。光栄に感じるとともに日系人社会にとって非常に良いニュースだ」と喜びを伝えた。同代表理事によると、国籍回復を待つ残留日系人は、新型コロナ前のデータとして約780人が生存していた。「今後調査していくが、コロナ禍で数百人が亡くなっている可能性もある」と明かした。
今年3月に岸田首相が国会で「政府一丸となって残留問題に取り組む」と発言。昨年5月にも当時の茂木外務大臣が「フィリピン政府と連帯していく」とし、政府として比残留問題への解決に意欲を示している。
PNLSCに法律顧問として20年以上関わってきたズニエガ弁護士は、東京や仙台での留学経験を持ち、比だけでなく日本の立法や行政、司法への専門知識も有する。同弁護士は相互補完的に猪俣代表理事の仕事を支える重要な役割を果たしてきた。
また、バイオリン奏者でもあるズニエガ弁護士は、双子のきょうだいのピアノに合わせ、美空ひばりの「川の流れのように」とルーベン・タガログの「ミナマハルキタ」を演奏した。日比両国を代表するかつての名曲に聴衆は聴き入り、終わりには拍手が湧き起こった。
▽「生涯の宝物」
アキノさんは1973年6月~96年5月まで在比日本国大使館の広報文化センター勤務を経て、96年6月~2022年3月末までJFMに勤め、日本語教育をはじめとする日比文化交流事業に長年携わってきた。受賞後の心境として、まにら新聞に「とても嬉しい。生涯の宝物だ」とし、受賞については「先月の全体会議の際に聞いて驚いたが、その前に個人的に重要なアナウンスがあるとだけ聞いていた」と笑いながら振り返った。全体会議ではアキノさん以外の人で、喜びのあまり泣いた人もいたという。
アキノさんによると、自身はすでに退職したが、これまで力を注いできた「日本語能力試験(JLPT)の今年7月の実施の先行きが気がかりでならない」。2019年12月以来、比では実施できていない。「当時、首都圏で9千人。ダバオ、セブ、カガヤンデオロ各市を含めると計1万3000人もの受験者がいたという。
またサンチェスさんは、ラグナ州のカリラヤ日本人戦没者慰霊園の管理を担ってきた。日本政府の建設費負担によって国家電力公社所有の土地に1973年に建立された同霊園は、第二次世界大戦で亡くなった人々を悼む場所の一つとなっている。越川大使は「サンチェスさんが20年以上、時には担当部署や仕事の範ちゅうを越えて、庭園の管理・整備に尽力してきた」とした上で「何十万人もの遺族が、彼女の奉仕に深く感謝している」と伝えた。「サンチェスさんのような寛容な心を持った多くのフィリピン人と、その未来志向の活動が、今日の特別に友好的な関係を築いてきた」とも称えた。(岡田薫)