大澤清氏死去
[ 901字|社会 (society) ] 有料在留邦人の中心的な存在で、生涯、日比友好に尽力した大澤清氏が死去
十九歳で単身来比した後、戦前、戦中、戦後の六十三年間にわたってフィリピンに在住、在留邦人社会の中心的存在として活躍し、戦後再渡来してからは、旧日本軍がフィリピンで犯した残虐行為の「語り部」として戦争を批判、限りなくフィリピンを愛し、日比友好に貢献してきた大澤清(おおさわ・きよし)氏=写真=が十日午前十一時五分、肺炎のため首都圏サンファン町の病院で死去した。九十五歳だった。群馬県出身。自宅はマカティ市マガリャネスビレッジ。葬儀は十一、十二日(いずれも午前十時︱午後十時)、同ビレッジのマガリャネスチャペルで。喪主は二女、大澤勝子さん。