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4月14日のまにら新聞から

戦争は再び戻ってくる 南シナ海に目を

[ 664字|2019.4.14|社会 (society)|新聞論調 ]

 第2次世界大戦中、フィリピン国内で行われた日本軍の戦争捕虜に対する多くの残虐行為は、規律に背いた日本軍兵士の個人による行為や、狂気にとらわれた兵士の仕業ではない。日本軍が内包する捕虜に対する「厳重処分」という対処に原因があった。

 それは1932年に満州で始まり、南京での三光作戦へと発展していく。後に比方面軍司令官となる山下奉文は、第2次世界大戦は始まると、第25軍司令官としてマレー作戦を指揮。占領したシンガポールで華僑の粛清を承認。直後に約5万人が殺された。

 比では44年10月〜45年3月に日本軍による残虐行為が最も多く起きた時期に、山下は比に派遣された第14方面軍司令官だった。

 満州事変後の32年8月、陸軍次官だった小磯国昭は、中国人兵士や中国人住民を国軍の指揮下に置くと命令した。荒木貞夫陸相が拡大展開した「八紘一宇」「皇道」の原点となった。それは法手続きの否定、処刑と同義語の「現地処分」の是認だった。南京陥落後、残虐行為は日本が占領した各国へと飛び火していく。

 以上は、「バタアン死の行進」の歴史を語り継ぐ団体のセシリア・ガエルラン代表が3月25日に、米カンザス州で話した要旨の一部だ。

 今週は比の退役軍人週間で、4月9日はバタアンが77年前に陥落した暗黒の時代を呼び起こす。戦争から学ぶということは、いくら一方が努力しても、戦争は自ずと海岸線に帰ってくるのだと自覚することでもある。戦争には意思がある。今まさに、南シナ海へと目を向ける必要がある。(11日、マラヤ・バーナード・カルガニラ)

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