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3月2日のまにら新聞から

われわれは再び暴君を倒せる エドサ革命記念式典

[ 802字|2018.3.2|社会|新聞論調 ]

 1986年の人民蜂起後に誕生した6人の大統領のうち、ドゥテルテは蜂起で直接恩恵を受けた4人目の大統領だ。マルコス政権が崩壊しなかったら、彼はダバオ市長の座に就くことがなかったかもしれない。コリー・アキノ大統領が86年にダバオ副市長だったドゥテルテを市長代理に任命したのが彼の30年にわたる政治キャリアを可能にした。

 しかし、ドゥテルテがこの独裁政権の崩壊を記念する政府式典を欠席したことは、暴君に対する人民の闘争や抵抗運動の英雄たちに対する敬意を示す機会を失ったことを意味する。実はドゥテルテの母親、ソレダッド自身がマルコスに反旗を翻した数百万人のミンダナオ人の一人だった。彼女はダバオ市でイエロー・フライデー運動を率い、ダバオにおける反マルコス運動を勇気づけた。ドゥテルテが式典を欠席したため、自分の母親や多くのミンダナオ人たちの足跡を顕彰する機会を逸した。

 一方、ドゥテルテに抜擢された82年生まれのモカ・ウソンは「独裁政治の崩壊は『フェイクニュース』か」と世論調査した。彼女はマルコス家へ忠誠を誓った人物。ドゥテルテが民衆蜂起を忘れようとしているのに対し、ウソンはその歴史を改ざんしようとしている。

 エドサ革命はマルコスかアキノかという政治選択ではなかった。それは暴君を追い出そうとした人々の勝利的な戦いだった。独裁者を倒す勇気と団結を持っていることを思い出させた。しかし、その後の政権は国民の民主的な渇望を無視し、汚職と残虐さでマルコス政権と競い合う。変革を旗印に大統領になったが、ドゥテルテも世襲政治家や財閥、将軍たちや外国の利益を守り、ジプニー運転手や貧困層、共産主義者や自身に批判的なメディアに鉄槌を加えるのが顕著になってきた。ドゥテルテが忘れたがっているエドサ革命をわれわれは忘れてはならない。われわれは再び暴君を倒すことができるのだ。(27日・ブレティン、トニョ・クルス)

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